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補足説明! ジャンル反復横跳びパーソン

60分一本勝負の配信者ミュージカル『NOW LOADING』がすごく好きなやつだった上になんと2/4(日)までアーカイブ配信で観られるらしい

■取り急ぎ伝えたいこと

・『NOW LOADING』っていうミュージカルがめちゃくちゃ良かったです。
・ゲーム配信者と視聴者(のちに配信者となる)を描いたふたり芝居形式のミュージカルです。
・社会のままならなさとほんのりミステリー要素、男ふたりの(耽美でない)連帯などを描いています。
・現在アーカイブ再配信中で、上演時間は約60分。2000円でめっちゃ気軽に観られます。
・~2/4(日)までの期間限定です。

amoshogo.com

 

 

地獄の高難易度ステージに挑む、男ふたりの傷と連帯。

 

 

こういうミュージカルが欲しかった。
ほんとに。
日本でこういった作品を作ってくれてありがとうと、ハッキリ言葉にして残したい、と思う。


脚本は世にも奇妙な物語『成る』『なんだかんだ銀座』の相馬光。2023年2月に東中野のバー・ライブスペース「驢馬駱駝(ろまらくだ)」で上演後、同年3-4月にアーカイブ配信。推し文筆家の岡田育さんが劇評を書かれていたのが目に留まり気になってはいたけど、いろいろと時期が悪かったために観られず。
ところが、ありがたいことに2024年1-2月にアーカイブ再配信。チャリティー企画による再配信で、国境なき医師団とUNHCRへ売り上げの50%が寄付されるらしい。時間を作って1月15日に視聴。見事に心を奪われた。

ド長文感想をゆっくりじっくり書き連ねたいタイプの作品であることに加え2月11日(日)に漢検の受験を控えておりてんてこ舞いだったので、このブログ記事は「不本意だけど配信期間後に載せるかぁ〜......」という心持ちだったのだが、制作背景を話したPodcastを聴いているうちに心境が変化し「なんとしても配信期間中に出さねば......皆が観られるうちに......」と静かに奮起したので、「過去問は1日1回必ず解く」という自分に課したノルマをぶち破って書いている。

よかったら、観てほしい。本当に良いのです。ただ良いだけでなく、ぼくが「日本のミュージカルにこんな多様性があってほしい」と願う理想の未来の可能性でもあるのです。あと数日だけど、まだ間に合うよ。

 

 

ゲーム配信者・下部ことジョニは、とあるオープンワールドFPSのプレイヤー。配信でマルチプレイ専用ミッションを遊ぶために視聴者からバディを募ったところ、ゲーム初心者のTAIが名乗りを上げる。かくしてジョニさんとTAIさんの奇妙な共同戦線が幕を開けたーー

 

演出および主演"ジョニ"役は、『弱虫ペダル』『(愛おしき) ボクの時代』などの舞台への出演、『仮面ライダーガッチャード』など複数の東映特撮へのゲスト出演も記憶に新しい天羽尚吾。
前説、壇上にスッと現れたしがない配信者のジョニさん。観客に向けて上演時間や「ゲーム実況」そのものの説明を展開したあとゲーム配信へ移行し、観客は自然にジョニさんの配信の"視聴者"となる。作中にエッセンスとしてゲームが登場するミュージカルは『BE MORE CHILL』があるけど、ここまでガッツリゲームが主題の作品はあまり聞いたことがない。「配信者」を扱ったミュージカルなんて特に。

作品内でプレイされるゲーム「マッシュ22」(かな?)はいろんなサブミッションを内包しながらもオープンワールドで買い物やBBQ、潮干狩りもできるほどの自由度があるゲーム。他プレイヤーからの奇襲・略奪も頻繁に起こるらしいので、なるほどGTAを一人称視点にしたようなゲームっぽい。
バーを模した……というか実際のバーに組んだシンプルなセットに、照明とSE、身近な小道具で戦いと痛みを表現する。シアタークリエにかかっているタイプの、オフ・ブロードウェイから持ってきたような現実と距離がほど近い作品が個人的に大好きなので、期待感は高まる。

 

 

ゲーム自体は殺伐としている中、ジョニさんの推しポイントは「ミッションクリア後に見える朝日」や「九十九里浜を連想させる浜辺の潮干狩り」。その着眼点には、競争をそれほど好まないジョニさんの性格が反映されていそう。自分が見つけた"好きなところ"を自分の言葉で語る所謂"推し語り"をしているときがすごく楽しそうで(あと本当にいそう)、もし実在の配信者さんだったら好きになってそうだな〜と思った。


優しい声質で物腰柔らかな雰囲気をまとうジョニさん。そのまま自身の身の上話へ移行するとその口調が次第に吐き捨てるようなものに変わり始め、「地獄選び」のナンバーに突入。ラップを交えた不穏なナンバーで、ジョニさんが現状の健康状態と社会的立場・現状への不安を歌う。
ジョニさんは現在パワハラ長時間労働による精神疾患で不動産会社を休職中。貯金を切り崩し、身を削りながら生活しているのだ。

 

配信開始後、一緒に組む予定だったバディ候補にドタキャンされ、急遽配信中にバディを募ることに。すると、視聴者の一人であるTAIさんが買いたてのゲーム機を携えて名乗りを上げる。名前をおそるおそる読んでいたのでおそらく初見だろう。通話が繋がったとたん「やっぱりネットに声が乗るのが怖い」とビビるTAIさんをなんとか説得し、初対面同士の二人で戦場へ。
初心者という重荷を抱えながらの、難易度の高いミッション。倒れた自分を放置してクリアに進んでほしいと頼むTAIさんを、ジョニさんは「二人で楽しくやりたい」と決して置いてきぼりにしない。

 

 

ゲーマーのジョニさんはパッドを使用しているけど初心者のTAIさんはポータブルゲーム機(PSV◯taに限りなく近い)で参戦するのも細かい。FPSで据え置き機と携帯ゲーム機? のマルチプレイなのは若干引っ掛かったけど、Switchの携帯モード的な扱いなのだと思う。

"ゲームをプレイしながら歌うナンバー"として思い浮かぶ唯一の例が、『BE MORE CHILL』の「Two-Player Game」なのだけど、見せ方としてはアレに少し近い。コントローラーを握っているときもあれば、それをハンドガンに見立てて撃ったり、「ゲームのプレイ」が照明とSEと役者の動きでスマートに舞台に顕現されている。ただこの作品ではモチーフとなるゲームがFPSなので、常に一発Deathの緊張感が静かに漂っている。色んな意味で。

ゲーム中の台詞・展開のひとつひとつが見逃せない作りとなっている。ジョニさんとTAIさんのスタンスの違い。有事の際の立ち回り。二人の心の距離。クリアできたミッションと、できなかったミッション。そして、時々危うく踏みそうになる"地雷"。なので、何回も繰り返し観られるアーカイブとの相性がとても良い。尺が約60分なのでリプレイしやすいのも助かる。

 

 

ミッション中、TAIさんは実はジョニさんがこの配信をもって活動を引退しようと思っていたことを知る。自分を助けてくれたジョニさんに対して「恩返し」がしたいと言うTAIさんは、自分とコンビを組んで配信をしないか、と提案する。


超ビッグストリーマーの場合は別として、基本的にいち個人である配信者と視聴者のボーダーは結構曖昧で、時と場合によって行き来することはよくある話。「自分も配信者という立場になることで推しの配信者を支える」という在り方も実例として存在するので、TAIさんのモチベーションがその方向に繋がるのは腑に落ちた。

 


そんな"TAI"役を、俳優として『VIVIANT』『東京リベンジャーズ』等に出演しながら、シンガーソングライターを両立する海老原恒和が務める。
夜は弾丸をばらまき、昼は社会人として働くTAIさん。ジョニさんと比べるといろんな場所・空間との境界付近に立っているキャラクターで、いくつもの顔を持ちながら人物としての接続性を保たなければいけないように見える。そう考えると本当に難しいバランス感覚なんだけど、海老原さんは声質や演技を極端に変えずとも自然にTAIさんとしてそこに存在してて、すごいな〜と思った。

この作品の楽曲もすべて海老原さんが作曲している(作詞は天羽さん)。「アーバン・ポップ・ミュージカル」というジャンル名が冠されている通り、ミュージカルらしくないシティポップのような曲調。でも挿入やリプライズのやり方はすごくミュージカルっぽくて、この自然さも最近のOff-BWっぽい香りがする。処女作とは思えないほど楽曲がこなれていて、芝居と曲を行き来するときのぎこちなさがまるでない。国産ミュージカルでここまで芝居と曲のバランスが"ちょうど良い"作品を、自分はあまり知らない。リアルとヴァーチャル、プレイヤーと操作キャラクターなど、あらゆる境界が自然に薄れていくこの作品とも合っている気がする。


生粋のゲームオタクで体を動かすのが苦手のジョニさんと体育会系で「押忍」が口癖のTAIさん。対称的にも見えるコンビは徐々に人気を獲得していく。こうして日々戦場に身を投じる中で、お互いが抱える"地獄"の中身が次第に紐解かれていくーー

 

 

この舞台を終始穏やかに観ることができなかったのは、ぼくもひっそり配信をしたり観たりしているからだ。FPSではないが某オールスター対戦ゲームのゲーマーで、零細ながらも大切な視聴者さんと不定期にゆるゆるやっている。ぼく自身も配信者の"推し"がいたりして、配信活動をテーマとしたAdvent Calenderに視聴者としての雑感を寄稿したりもしている。なので、ジョニさんの気持ちもTAIさんの気持ちも、多分少しはわかる。『現実逃避行』のナンバーはそんな草の根配信活動の根源的な面白さに溢れてて、中でもジョニさんとTAIさんがアロハシャツで楽しそうに踊るシーンが大きな落涙ポイントだった。

 

少し話がそれるけど、ごく稀に自分にすごく肉薄してるなと思うミュージカルに出会うことがある。たとえば『ファン・ホーム ある家族の悲喜劇』で描かれた家族模様は、父親が既婚隠れゲイでトラックの前に飛び出したことを除けばあまりにも自分のそれに似ていた。2018年にシアタークリエの日本版を観たとき、この感覚をまさか海の向こうの作品で味わうなんて、という衝撃があった。
『NOW LOADING』はそれ以上だ。「地獄を選ぶ」という概念も、「何のために生きる、ことにしていく?」という問いかけも、「死ねと言われたら死ぬのだろう」という半笑いの諦念も、すべて身に覚えがありすぎる。自分をサンプリングしてるのかとすら錯覚するくらい。でも当然そうではなくて、きっと思っているより普遍的なことなのだろう。語られることが少ないだけで。

この作品はゲーム配信をギミックとしながらも、ド直球にトキシック・マスキュリ二ティの話でもある。トラディショナルな社会で生きている以上その土俵に立った者は誰一人無関係ではいられない、受け継がれる負の連鎖。踏みつけられることから身を守るためには、自分も誰かを踏みつけるしかない。ちょうど数ヶ月前、n年ぶりにジョニさんと似たシチュエーションを体験した自分は、ボロボロの体で引き金を引いた感触がまだうっすら残っている。金ピカで底が厚いけど鈍重なゲタを無理やり引っ剥がして、代わりに時限爆弾でもくくりつけたかのような。この作品で繰り返される「地獄を選ぶ」とは、多分こういう感じだ。

 

 

多くのゲームには勝敗の概念がある以上、「勝って何かを得る/負けて何かを失う」という物差しから完全に逃れることはできない。それ自体を過度に悲観することはないと思う。ただありのままそこに在るだけ。現にこの作品でも、最終的に物語を牽引するのは「不可能と思われるミッションの達成可否」である。
でも勝利の価値が結果そのものではなくその後に見えるハリボテの朝日にあるのならば、きっとジョニさんとTAIさんは今の戦場とは違う地平での連帯ができるはずだ。わかんない。でも、きっとそうだと信じたい。

 

数年前のある日、背広の重さに限界を迎えた自分は今は亡き日比谷コテージで『男らしさの終焉』(グレイソン・ペリー著,小磯洋光訳)を藁にもすがるような気持ちで手に取った。このような最初から適切な選択肢を踏める幸運は、残念ながらすべてのヒトに訪れるわけではない。
既存のミュージカルファンダムでない人の中に、この作品が救いとなる人もいると思う。届いてくれたらいいなぁと、ただ願うばかり。日本にはこんな面白い創作もあるよ。

 

 

※掲載の写真は、公式サイト内「転載可能舞台写真」より(撮影:黒瀬友理)