古今東西、配信ものがたり。-「配信」を題材とした創作物 勝手におすすめ5選 -
まえおき
この記事はTwitchストリーマー・のほほさんの企画「Streamer Advent Calendar 2024」の一記事として書きました。YouTube、Twitchなどの配信プラットフォーム・界隈・立場・内容を問わず記事を発表できる企画で、昨年も参加させていただいております。
前日の記事はてんりなさんの「配信に出会って人生が変わった話」です。てんりなさんが推しているぱせりまんさんは自分もよく視聴しており(小心者のためほぼROM専ですが)ファンミーティングにお邪魔したこともあるので、あの配信者コミュニティの誰でもウェルカムな空気の良さは肌感覚としてめちゃわかり、うんうんと頷きながら読みました。てんりなさんはぱせりまん配信をきっかけに就職したそうですが、(とくにTwitchの)配信者コミュニティって一度ビビッとハマれば不思議と普段の生活にも良い作用をもたらす謎現象ありますよね。こういう体験談を読むと配信やりたいな~って思います。
はじめまして。なにしょんと申します。一応Twitchチャンネルも所持していますが事実上の冬眠状態で、買ったきり箱から開けてないオーディオインターフェースくんにそろそろ居場所を与えたい気持ちを抱きながら今日も自宅や出張先で不夜城を築いています。校正・校閲でごはんを食べており、お仕事で著者様の大切な創作物をお預かりすることもあるほか、自分でもいろんな物語を観たり読んだりすることが好きです。この記事は夜勤前に早起きして書きなぐったかと思えば、今は12時間夜通し他人の文章とにらめっこしてヘトヘトな状態で公開ボタンを押そうとしています。疲労と眠気で目がつるつる滑っててとても怖いです。
ところで、皆さんは「ストリーマー」「活動者」「配信メディア」を題材とした物語に触れたことはありますでしょうか。アニメ、ライトノベルでは以前からそれなりに見かける印象でしたが、最近はどうやら比較的ネット文化から距離が遠いであろうジャンルにも波及しているようで、「配信」という概念がどんどん広まってるのかな~と思っています。気がつけば、特に狙ってもいないのにお気に入りを選別できるくらいの数が集まってきました。
今回は「Streamer Advent Calendar 2024」にかこつけて、「これは……すこだ......」と感じた、配信者や視聴者など、配信にかかわるいろんな方々にオススメしたい作品をご紹介します。いろんな創作物のなかで「配信」はどう描かれているのか。映画から小説、舞台まで、必見の5作品です。
『王様のキャリー』(小説・176ページ) 2024年
著:まひる
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— 『王様のキャリー』8/22発売📢 (@ohsummer08) 2024年8月21日
講談社児童文学新人賞受賞作📚
『王様のキャリー』
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╭━━━━━━━━━━━━━━━━━╮
キャリーしてやるって言ってんだけど
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eスポーツ🎮×中学生👑×友情 🤝 pic.twitter.com/pjzG3MEHHa
(このPV、著者さん本人が作ってるらしい。すごい)
講談社児童文学新人賞受賞作。刊行されるや否や児童書愛好者界隈の間で話題になったヤングアダルト小説です。
ざっくばらんに概要を説明すると「性格もゲームの腕も平凡な普通の中学生が、ひょんなことから憧れの有名ゲーマーと出会ってしまい、友情……とは一口に言えないような、奇妙な関係性を育んでいく」というプロットです。
この作品に登場する配信者はバトロワ系FPSの上位プレイヤー、lion(リオン)。公式大会にも招待されるほどの強さを誇り、腕っぷしひとつで視聴者数を獲得しながらも、そのストイックさが仇となり日常的に視聴者とレスバを繰り広げています。その不遜そのものな配信スタイルから、ついたあだ名は「王様」。引っ込み思案でゲーム下手な主人公の勝生は、そんなlionのファンでした。
「お、あ、あの……王様で……すか?」
勝生の言葉を受けて、少年の眼鏡の奥の目が大きく見開かれる。
それから少年の目は、にやーっと半月形にゆがんだ。
「ひっ、ひひっ」
空気が抜けたような掠れた笑い声をもらし、少年は半笑いで肩を震わせている。
「普通さぁ、そんな聞き方するかよ。違ったらどうすんだって。ゲームとかやりますか? lionさんですか? ってステップがあるだろうがよ」
(『王様のキャリー』より)
lionの正体は、勝生と同年代の少年、リオ。リオは諸事情から車いす生活を送っており、常に他者の介抱が必要な状態にありました。「自分のファンに生ではじめて出会った」というリオは、実力に伸び悩む勝生をAランクまでキャリーすることになります。
もともと視聴者である勝生は憧れだったリオとゲームで遊ぶようになり、いつの間にか友達のような何かになっていきます。王道のボーイミーツボーイですが、勝生はお騒がせストリーマーであるリオとの友情がだんだん手に負えなくなります。リオと触れ合うなかで、車いすを手放せないリオにしか見えない景色の一端を知ってしまい、『王様』になるに至った事情を次第に理解していくのですが、そのおかげで次第に勝生は「周りが抱くlionのマイナスイメージ」と「自分だけが知っているリオ」のギャップに苦しんでしまうのです。
神崎くんは再生ボタンを押すと、みんなで見れるようテーブルの中央にスマホを置き、ご丁寧に音量を上げてくれた。
その親切は、勝生を処刑台に立たせているようだった。
『――はぁ? アイテム使うのの何が悪いんだよ。ソロでやってんじゃねえんだぞ』
(『王様のキャリー』より)
この作品の面白いポイントは、ゲーム内の描写の一つひとつにちゃんと意味があるところ。「勝生・リオは、ゲームの中でこの作業が得意/苦手である」というさりげない描写もヒントとして機能しており、それらが一気に紛糾しエグ味が増す後半の展開は、ヤングアダルト小説の本領発揮。
あと、小説としてシンプルにすごく読みやすい。いろんな気配りが行き届いており(例を挙げると、ゲーム内ランクを下から「C」「B」「A」「S」に設定してるので読者は余計な固有名詞を覚えなくてよくなる、とか)ひたすら物語の筋の良さと魅力的なキャラクターを楽しめます。普段小説を読んでない方にも強くオススメできる一作。
(Amazon・各書店等にて販売中。Kindleで試し読みもできます)
『ウルトラマンアーク』 第8話
「インターネット・カネゴン」(ドラマ・25分) 2024年
監督:越知靖
脚本:吉上亮
最新シリーズ『ウルトラマンアーク』のいちエピソード。最近都内でも導入が進められている「デジタル地域通貨」と「配信サービス」を題材としたSFコメディ単話。
このお話で登場する配信者はカネゴンです。令和の世は怪獣も配信する時代。
『アーク』の舞台となる星元市は、度重なる怪獣災害によって急激な物価高に直面していました。主人公が所属するSKIPも経費削減のため節制せざるを得ない事態に。
しかしSKIPのメンバーで出向組の石堂さんは、趣味のコーヒーを1日3杯に抑えなきゃいけないことに精神が限界を迎えていました。
なんとかして趣向品代を捻出したい石堂さんは、星元市で普及しているデジタル地域通貨アプリ「ホシペイ」に目をつけます。ホシペイにはサブ機能としての配信機能と投げ銭システムが付属しており、石堂さんはコレで一山当てようというと目論むのです。しかしそのアプリのトップ配信者は、人間ではなくV(ヴァーチャル)怪獣で……
人の欲望を解析したV怪獣であるカネゴンは「人が観たいもの、やってほしいことにどこまでも忠実になる」ことで、視聴者から数多の投げ銭を受け取り一躍トップ配信者の座にのぼりつめます。問題は、カネゴン自身は全くお金を使おうとしないことでした。視聴者からカネゴンへの投げ銭は実質死蔵され、星元市全体のお金の流通量は急低下。市内のお店が次々と閉店や長期休業に突入してしまいます。
予備知識不要な一話完結のエピソードで、ずーっと画面がドタバタしてて楽しいです。財政が悪化しどんどん困窮する一方で投げ銭をやめることができない星元市民にどこかヒヤリとしたものを感じながらも、お金の循環の仕組みをわかりやすく学べるスラップスティックコメディ。お金は身を削るほど使いすぎても、逆に貯めこみすぎてもダメなのです。お金ってむずかしいね。たたかえウルトラマン! 貨幣経済の安寧を取り戻せ!
(Prime Video, U-NEXT等にて配信中)
『NOW LOADING』(舞台・約1時間) 2023年
演出・プロデュース・作詞:天羽尚吾
脚本:相馬光
作曲:海老原恒和
たぶんこの世にまだ一作しかない、ゲーム配信を題材としたミュージカル。配信者役と視聴者役のふたり芝居。演出・製作・音楽を役者が担う小規模な舞台ですが、口コミがミュージカル好きの間で大きな評判を呼びました。今回紹介した作品のなかではTwitchにもっとも質感が近い作品かも。
で、先に書いておきます。この作品、すでに終演しており現状視聴手段がありません。でも過去に映像配信されていたことがあるので、映像の再配信or再演に期待できます。何か動きがあったら盛大に騒ぐ予定ですので、頭の片隅に入れておいていただけるとありがたいです。
この作品に登場する配信者は、主人公のジョニさん(20代・男性)。とあるオープンワールド型FPSをひっそりと遊ぶ、まだ規模の小さなゲーム配信者です。以前は不動産会社の営業職でしたが、パワハラと長時間労働に耐えかねて会社を休職中。
ある日2人用のCo-opミッションをする予定だったコラボ相手にドタキャンされ、仕方なく急遽視聴者の中から参加者を募ります。それに名乗りを上げたのはどこか浮いたコメントのTAIさん。「ジョニさんの配信が辛い日々の支えになっていた」と語るTAIさんは、傷心中のジョニさんの配信活動をサポートしたいと申し出ます。
主人公のジョニさんが「激務とパワハラに耐えかねて会社を休職してる零細配信者」な時点でなんとなく察しがつくと思いますが、シナリオは結構シビアです。
ゲームのなかの戦いと企業戦士としての戦いが交錯する仕組みになっており、物語は次第に「生きてる以上逃げられない現実(≒理不尽な社会)にどうやって立ち向かうか、または折り合いをつけていくか」という泥沼に突入していきます。
余談ですがこれをアーカイブ配信(期間限定)で観たときのぼくはまさに「激務etcに耐えかねて仕事を全ストップしてたまにTwitchでひっそり配信してるニート」だったので、色々ヒリヒリしっぱなしでした。後半メッタメタに刺してくるセリフもあったりするので、フラッシュバックの恐れがある方は注意かも。
視聴者から成りあがった形でジョニさんとコンビを組んだTAIさん。体育会系で「押忍!」が口癖で、いい感じにトンチンカンなTAIさんのキャラは視聴者ウケもよく人気を呼ぶようになります。ただ、この作品のキモは「(原則として)配信者は自分の配信に来る視聴者を選ぶことができない」ことにあります。その非対称性を活かしたミステリー要素が展開されており、楽しげな場面のなかにも常に一抹の不穏さが醸し出されています。
ちなみにミュージカルです。ミュージカルなので、歌います。とにかく聴き心地が良いです。いわゆる世間一般で想像される「モノローグから会話まで全部歌で完結する」タイプではなく、どちらかというとイメージソングが合間に挿入される形に近いのであまりミュージカルを見慣れてなくともスっと入っていけそうな感じがあります。
下はジョニさんとTAIさんのコンビ結成を祝した劇中曲。明るいデュエットですが、このナンバーでジョニさんは配信を「抜け道」、TAIさんは「止まり木」と表現しており、ここに両者のスタンスの違いが表れています。
現状全編の視聴がかなわないのが惜しいですが、こういった新作ミュージカルは(すごくざっくり言うと)一回やって終わりではなく、再演などの展開を何度も繰り返して徐々に大きくなっていく、というセオリーがあります。息の長い作品になることを祈りつつ。
「レディオ・サイレンス」(小説・448ページ) 2016年
著:アリス・オズマン 訳:石崎比呂美
【🔈新刊発売🔈】
— 【公式】日本語版『HEARTSTOPPER』5巻🌈小説『Radio Silence』📻発売中 (@heartstopper_jp) 2024年6月24日
本日(6/24)、HEARTSTOPPERの作者アリス・オズマン先生が手掛ける長編小説📖
『Radio Silence レディオ・サイレンス』📻発売です!
チャーリーの友人、アレッドが主人公の一人として描かれている作品です🌈
弊社ECサイトではステッカー特典付きで販売中💙https://t.co/zKRwKLhB44 pic.twitter.com/BXodMfajgm
大人気のNetflix青春ドラマ『ハートストッパー』の原作者が書き下ろしたヤングアダルト小説。
ケンブリッジ大学に入ることだけを人生の目標としている生徒会長で受験生のフランシス・ジャンヴィエ。彼女の唯一の趣味は、知る人ぞ知るYouTubeラジオ『ユニバースシティ』のファンアートを描くことでした。ある日10代の酒の勢いから、『ユニバースシティ』のクリエイターが親友の弟であるアレッド・ラストだと知ってしまいます。アレッドにファンだと打ち明け秘密を共有したことで、顔見知り程度の関係だったアレッドと友達になるフランシス。でもフランシスはアレッドに隠し通さなければならない秘密を抱えていて……
優等生のイメージを死守したい、内申に響くような悪目立ちを何よりも恐れるフランシスは、自分が勉強の合間にマイナーなPodcastのファンアートを投稿してるなんて絶対にバレたくありません。フランシスにとって『ユニバースシティ』は自分の「好き」を100%注ぎ込めるセーフティ・スペースです。
ユニバースシティのタンブラーのタグは、わたしの話題で持ちきりだったーーわたしのアート、わたしのブログ、わたしのツイッター、そしてわたし自身。みんなまだ、わたしについてははっきりしたことは何ひとつ知らず、それがすごくありがたかった。たまには、ネットの匿名性がいいこともある。
(『レディオ・サイレンス』より)
この作品に登場する活動者は「レディオ・サイレンス(アレッド・ラスト)」。『ユニバースシティ』の語り部で、高3にして台本、声優、EDテーマの作詞・作曲・演奏・歌唱までやってのけるマルチクリエイターです(下は、作者のアリス・オズマンが再現した『ユニバースシティ』のエピソード)。
この作品に登場するキャラクターはどれも、不特定多数に見せる「外面」とごく一部の深い関係にしか見せない「内面」が併せて描写されています。たとえば学校では堅物なフランシスが実は『タートルズ』や『デジモン』が好きなことを知ってるのはフランシスのお母さんだけです。でもアレッドだけはそれが逆転しており、彼はもっとも近い家族やクラスメイトから「外面」で自分を守る一方で、全世界に向けて本当の自分をさらけ出しています。
アレッドにとって『ユニバースシティ』は自分をリアルから切り離した状態で人とかかわるための手段です。レディオ(=ネットの自分)とアレッド(=現実の自分)を極力つなげたくないワケありのアレッドにとって、身バレはもはや死も同然。なんとしても秘密は守り通さなければなりません。
ですが、知る人ぞ知るコンテンツだった『ユニバースシティ』がバズって注目を集めるようになったことから、二人の歯車は狂い始めます。レディオのファンが完全に制御不能となり、どんな言葉を尽くしても焼け石に水となったとき、フランシスとアレッドの友情にも試練が訪れます。酔ったときのTwitterってほんとロクなことにならないですね。
訳文が自然で読みやすいので、邦訳小説が苦手な方も読みやすいと思います。例にもれず心がきゅってなるタイプの青春小説ではありますが、作品の根幹がハートフルなので最終的にはあったかい気持ちになれます。
(Amazon・各書店等にて販売中。Kindleで試し読みもできます。結構後ろのほうまで読めたので、間違って製品版配信されてる?って思いながら読んでた)
「PLAY!~勝つとか負けるとかは、どーでもよくて~」(映画・122分) 2024年
正確には配信者の物語ではないのですが、カルチャー的に近しいものを感じるので紹介します。実在の3on3ゲーム『ロケットリーグ』の高校生大会に挑む3人の少年を描いた青春映画。阿南高専のeスポーツ研究会による実話をもとにしています。
・何もかもデキるけどちょっといけ好かない達郎
・金髪でゲーム初心者の翔太
・VTuber好きで意欲ゼロの亘
の凸凹な3人がほぼ初対面の状態からチームとして立ち上がっていく姿を描きます。
高専出身の自分としては、この3人がまとっているいかにも「高専生」的なクセの強さが個人的にすごくツボで、3人とも全然ベクトルが違うのにどの子も「いたいた! こんなヤツ!」って納得するリアルさがあります。こういうタイプの違う奴らがふんわり仲良くなれるのが高専の良さだよなぁ......
特訓パートは主に翔太の視点で進み、全くの未経験からひとつのゲームにのめり込むまでの過程が丁寧に描かれます。プレステとPCのクロスプレイなので達郎が指導するときに×ボタンとBボタンで齟齬が出たり、口喧嘩するときに車をゴツゴツぶつけ合ったりするのがゲームならではの面白さ。
彼らは大なり小なり家族との関係に問題を抱えており、特に翔太に関しては完全に家庭崩壊です。彼らは別にお互いの身の上を共有したりしないし、想いを熱くぶつけあうタイプの友情を築いたりしません。彼らをつなげているものはゲームだけ。ぶっちゃけ、大会が終わってもこの3人が友達として仲良くしている姿はあまり想像できず、彼らが抱えてる問題がゲームで霧散することもありません。
それでもゲームをするときだけは、その世界だけに瞳を据えて本気になります。顔も合わせられないドライな関係の3人が、気がつけばふと自然に互いを支え合う(でも友達ではない)ところがこの映画の味で、その表現の仕方もエモさマシマシです。「勝つとか負けるとかは、どーでもよくて」というサブタイトルは、遊びに本気で向き合った人間が辿り着ける境地として描かれており、この映画を観るとゲームに本気で取り組むってキラキラしてるなぁ......と思えてくるのです。
(Prime Videoで配信中)
さいごに
ここまでお読みいただきありがとうございました。レコメンドや推し語りはあまり得意じゃないのですが、「この作品はもっと刺さる人がいるはずだ!」と思う作品ばかりで、ひたすら「届いて.....」という願いを込めてがんばってみました。どれかひとつでも気になる作品が見つかったならとてもうれしいです。
今回紹介した5作品の共通点は、「配信活動の自分」と「カタギの自分(とそのまわりの社会)」の両方が並列で描写されてるところです。活動をがんばることによって生活が好転したり、逆に活動で受けたダメージをリアルの交友関係が支えてくれたり……それぞれ異なるフィルターを通して描かれた配信の物語は、単純にエンタメとして面白いですし、ひょっとしたら今後の活動に響くような何かを残してくれる、やも。
ところで改めてリストを見てみると5分の3がジュブナイルで草でした。ぼくのアンテナが偏ってる自覚もあるので、「これオススメだよ!」って作品があればドカドカ教えてほしいです。ぼくのXにぜひとも突撃してください。
明日の記事はラムナ,さんの「配信を続けられる人と続けられない人」というトピックです。続けられない人筆頭のしょんくんにはとても刺さって、とても苦しい。
東宝はもっとアンジーとズブになってほしい - 『この世界の片隅に』
2024/5/11 マチネ 日生劇場
2024/5/25 マチネ 日生劇場
脚本・演出:上田一豪(劇団TipTap)
音楽:アンジェラ・アキ
昭和20年、広島・呉の北條家に嫁いだ浦野すずは、ある日空襲に巻き込まれ重症を負った。絶望を抱えるなか、夫の周作や妹のすみの励ましで、自身の楽しかった記憶を回想する。同じクラスの男の子とふたりで見た波のウサギ、周作との結婚生活、白木リンとの友情ーー太平洋戦争下、死が身近となり灰色に染まった世界で、すずは自分なりの方法で居場所を見つけていく。
こうの史代による人気漫画を原作とした、東宝オリジナルミュージカル最新作。初報の段階ではあまり注目している作品ではなく、観に行こうという気もそれほどなかった。理由はいくつかあるが、初報で出た情報がキャストのみで、演出と音楽が開示されなかったことにあまり期待を見出せなかったんだと思う。
そんななかチケットを取ったきっかけは、上演直前に発売・サブスク配信された「アンジェラ・アキ sings 『この世界の片隅に』」を聴いたこと。この作品の音楽担当アンジェラ・アキの10年ぶりの復帰作にして、ミュージカル楽曲を自身でセルフカバーしたアルバム。Spotifyに配信されていたのをふと聴いてみたところ、これが個人的に大刺さりして、一気に「これはチェックせねば」と思い直した。
そもそも現状の日本オリジナルミュージカルは、初演にかかわらず開幕前は(下手すりゃ終わったあとも)一曲もフルで聴けないことが当たり前の険しい環境。音楽が肝のジャンルなのに、肝心の劇伴がわからないままチケットを取らないといけない。そんななか音楽家本人によるカバーとはいえ、事前に10曲も聴けてしまう作品なんてそうそうない贅沢なのだ(1曲ボツになってるが)。朝番組に出たりTHE FIRST TAKEに主演2人を交えてパフォーマンスするなど、初報の出し惜しみが嘘のように幅広く露出された。アンジーパワー、おそるべし......
もちろん楽曲自体もすごく良かった。今までの大規模オリジナルミュージカルでは、海外のクリエイター......まぁぶっちゃけワイルドホーンかハウランド次点でドーヴ・アチアなどがナンバーを書き下ろし、それを日本語に訳す手法が主流だった(『四月は君の嘘』『生きる』など)。一方で、完全に日本で活動する日本人の方に依頼する方法もある(『SPY×FAMILY』『のだめカンタービレ』など)。
アンジェラ・アキがそのどちらとも違うのは、元々日本で活動していた日本語ネイティブの音楽家が、自身のキャリアを全ストップしてまでミュージカルを学ぶために渡米したこと。「BW式のミュージカルを勉強した音楽家」が「日本語での歌唱を前提として」作られたミュージカルって他にあるだろうか? 自分は思いつかない。あったらぜひ教えてください。
ミュージカルの王道をちゃんと押さえて、なおかつポップスなので、一人のアーティストによるアルバムとしても成り立ち、シングルカットしても様になる。ミュージカルの作り手としての経験はないけど、多分この水準を実現するのはものすごく大変だ。国産ミュだと「一曲一曲は良いんだけど単発で、二時間長の芝居で流れていった際のシナジーをあんまり感じないな……」みたいなことをよく感じており、かといって今の日本ではそれを埋める地盤が(個人どうこうではなく構造として)整っていないのはあらゆる証言から察せられるので仕方がないこととして受け止めている。が、この作品にはそれを感じなかった。作中への挿入も手馴れてて、特に「波のウサギ」のリプライズの節操のなさは楽曲が持つパワーをはちゃめちゃに引き出してて良かったと思う。
演出は東宝の常連・クリエの怪人、上田一豪。
・帳面にプロジェクションマッピングですずの絵を投影
・盆がスライドして八百屋になり、奈落との隙間ができる
・舞台外に張り出しを配置する("帳面の外"を表現)
と、作品モチーフの豊富なギミックが詰め込まれてるのが楽しい。特に舞台背面の帳面を三段活用した後半のギミックは(心の中で)作品の盛り上がりも相まってすごく自分の中で盛り上がった。演劇のプロジェクションマッピングは書き割りの代替に終始するパターンが多くてあまり好みじゃないんだけど、この作品はちゃんと必然性がある使い方をされていた気がする。でも盆がまわるにつれてできる奈落と舞台の隙間、万が一オペレーションをミスって盆が逆方向に回転しはじめたらめっちゃ危ないよな……と思って無駄にヒヤヒヤしちゃってた。いや、大丈夫だとは思ってるけど。けど。
日本人、しかも戦中の人間を描いたミュージカルとしてすごくしっくり来た。原作の、あくまで市井の人が生きる様子をありのまま描く雰囲気をちゃんと舞台に翻案していたと思う。ミュージカルという表現形式で、やろうと思えばもっとエモにしたりTHE・悲劇な描き方にもできたと思う(自分も懸念していた)なかで、観客と舞台のほどよい距離感を終始保てていてすごく観やすかった。子役も含めた生身の演者が、目の前で戦禍を生きる。私たちは、ただ俯瞰する。芋をごはんに混ぜ、飢えを凌ぐためにクロッシェを売り、今生の別れが当たり前になっていく。すず達が死を内面化し、日常を「たくましく」生きていく。それが、本当に怖い。すごくあてられてしまい、鑑賞後しばらく日比谷-銀座間を魂が抜けた状態でうろつき、ふと立ち寄った丸の内TOEIの別の映画で無理やり上書きせざるを得なかった。というか、途中から涙を流すというよりは「なんでこの人たちがこんな目に合わなきゃいけないんだ.....!?」という怒りの方がはるかに大きくなり、それ故に玉音放送後のすずが祖国に対しハッキリ"怒りをあらわにする"場面はいくらか溜飲が下がった。それでも前述のモヤモヤに対するエクスキューズとしては少し弱かったように感じる(でもここでばっちし正解を叩き出して「スッキリ」するのは『この世界の片隅に』ではない気もする)。
すごく真摯な作品つくりをしているなと思ったし、仮にこれを欧米圏に持って行くことができたならかなりの快挙だと思うので、これからも再演を重ねて大切に育ててほしいな〜と思います。あと公演前にセルフカバーで曲を商業流通させる施策はすごくすごく良かったのでこれからもいろんな作品が続いてくれたらうれしいですね。
『クラユカバ』『クラメルカガリ』各60分にぎゅぎゅっと凝縮された濃厚なエンタメを、ぜひ劇場で体感してほしい話
取り急ぎ伝えたいこと
『クラユカバ』『クラメルカガリ』とは?
『クラユカバ』
慣れ・ダレ・崩れが一切ない、全体的に軽妙な語り口で進むエンタメ映画です。
いい意味での自主制作感があり、あらゆる損得を可能な限り度外視して観客を楽しませようというサービス精神に満ち満ちてるのが画面から伝わってきます。直接人が死ぬシーンはなく、暴力描写も必要最低限に抑えられてて観やすい。戦車や銃のドンパチもありますが、民間人を一切巻き込まずやりたい奴らが勝手にやってるだけなので大変景気がよろしい。
『クラメルカガリ』
『クラユカバ』の製作に向けたクラウドファンディングに小説家の成田良悟さんが出資したことをきっかけに、『クラユカバ』のスピンオフとして成田さんが執筆された小説が『クラメルカガリ』。それを原案として『クラユカバ』と同ボリュームの映画として製作(どういう発想で?)、驚天動地の二作同時公開へと至る。
おわりに
数ある魅力からどこをかいつまむかに迷いつつ、私は私なりの推し方をするしかないので、もしこの散文がどこかの誰かのフックに引っかかれば嬉しいな、と。
コミカライズも含めるとまだまだ作品世界をじっくり楽しめそうなので、今が曳かれ時だったりするかもしれませんね!
【入り切らなかったお話】
歌舞伎知らなくても何とかなった - 舞台『中村仲蔵 ~歌舞伎王国 下剋上異聞~』
2024/04/06 配信
演出: 蓬莱竜太
脚本: 源 孝志
血統が重視される歌舞伎界において一代で千両役者まで成り上がった役者・初代中村仲蔵の半生を、ホリプロステージが豪勢に舞台化。中村仲蔵の人物・逸話に関する事前知識は神田伯山先生の講談をYouTubeで観たことがある程度。歌舞伎の知識はほぼゼロ。ミュージカル、海外戯曲といった西欧の色が濃い商業演劇を偏狭的に求める自分は恥ずかしながら歌舞伎をちゃんと観たことは一度もなく、生で観た歌舞伎は何かと問われたらもうJCSのジャポネスクしか選択肢がない。でも歌舞伎って面白そうだしためになりそうだし勉強したいと思いながら、なかなか手が出ない。その最初のハードルをいい感じに緩和してくれそうな作品だと思ったし、実際その通りだった。
なんせ、お話を読み解くのに必要な情報はすべて舞台上で説明してくれるのだ。池田成志演じるコン太夫という超便利な「第三の壁を気軽に越える人物」が配置されており、物語のクライマックスとなる『仮名手本忠臣蔵』五段目の上演前にはその作品解説を10分くらい懇切丁寧にしてくれた。物語のあらまし、五段目前後の流れ、斧定九郎がいかに取るに足らない役か、など......
前回観た『カム フロム アウェイ』(これもホリプロだ)は、12人で100人を暗転なしで演じ切る、そのために演じながら次々と椅子や衣装を入れ替えて緻密なオペレーションを達成する作品だったので、『中村仲蔵』のひたすら身一つで真っ直ぐエネルギーを爆発させる芝居は実家のような安心感だった。
"血がない役者"である仲蔵。その後ろ盾は......まぁあるにはあるけど心許ない。自分からグイグイ行かないと何もチャンスを掴めないので、あらゆる起点は仲蔵から始めないといけない。その点、藤原竜也がもう完璧で、全てを捨てられるほどの芝居バカという設定.....設定というか、まさに舞台上で"そのように"生きてる。配信映像のフォーカスもすごくて、汗も、鼻水も、唾も、顔中からあらゆる液体が滝のように流れるさまをドアップで映し出す。その姿の前には如何なる雑念も洗い流されてしまう。
ひとつ大きな注意喚起として、仲蔵に対する性暴力やいじめのシーンが結構ガッツリとことん痛々しく描かれる。藤原竜也がまたすごい形相でそれを受けるので良くも悪くも目を背けることも難しいので、苦手な方は本当に気をつけて......
「ただ純粋にこれをしたい」という夢が、生まれ持った属性をあげつらわれ阻害され志半ばで潰えていく。本当に、考えるだけで心がきゅっとなるくらい残酷なことで、残念ながら今もそこかしこで起こっている。伯山先生も「『中村仲蔵』は現代人に響く」というコメントをこの舞台に残したように、講談のなかでも『中村仲蔵』の人気はずば抜けてるイメージがある(それこそぼくでも聴いたことがあるくらいには)。少なくとも「仲蔵の生き様を胸に私も現で頑張ろう」という期待を抱かせていることが無関係ではない気がする。それがぼくにとって勇気なのか呪いなのかは、今の自分にはまだわからないけども。
『カム フロム アウェイ』 は東京以外に5府県もツアーするし月額900円一週間無料のApple TV+で配信もしてるので実は敷居がかなり低いぞ!
60分一本勝負の配信者ミュージカル『NOW LOADING』がすごく好きなやつだった上になんと2/4(日)までアーカイブ配信で観られるらしい
■取り急ぎ伝えたいこと
・『NOW LOADING』っていうミュージカルがめちゃくちゃ良かったです。
・ゲーム配信者と視聴者(のちに配信者となる)を描いたふたり芝居形式のミュージカルです。
・社会のままならなさとほんのりミステリー要素、男ふたりの(耽美でない)連帯などを描いています。
・現在アーカイブ再配信中で、上演時間は約60分。2000円でめっちゃ気軽に観られます。
・~2/4(日)までの期間限定です。
地獄の高難易度ステージに挑む、男ふたりの傷と連帯。
こういうミュージカルが欲しかった。
ほんとに。
日本でこういった作品を作ってくれてありがとうと、ハッキリ言葉にして残したい、と思う。
脚本は世にも奇妙な物語『成る』『なんだかんだ銀座』の相馬光。2023年2月に東中野のバー・ライブスペース「驢馬駱駝(ろまらくだ)」で上演後、同年3-4月にアーカイブ配信。推し文筆家の岡田育さんが劇評を書かれていたのが目に留まり気になってはいたけど、いろいろと時期が悪かったために観られず。
ところが、ありがたいことに2024年1-2月にアーカイブ再配信。チャリティー企画による再配信で、国境なき医師団とUNHCRへ売り上げの50%が寄付されるらしい。時間を作って1月15日に視聴。見事に心を奪われた。
ド長文感想をゆっくりじっくり書き連ねたいタイプの作品であることに加え2月11日(日)に漢検の受験を控えておりてんてこ舞いだったので、このブログ記事は「不本意だけど配信期間後に載せるかぁ〜......」という心持ちだったのだが、制作背景を話したPodcastを聴いているうちに心境が変化し「なんとしても配信期間中に出さねば......皆が観られるうちに......」と静かに奮起したので、「過去問は1日1回必ず解く」という自分に課したノルマをぶち破って書いている。
よかったら、観てほしい。本当に良いのです。ただ良いだけでなく、ぼくが「日本のミュージカルにこんな多様性があってほしい」と願う理想の未来の可能性でもあるのです。あと数日だけど、まだ間に合うよ。
ゲーム配信者・下部ことジョニは、とあるオープンワールド型FPSのプレイヤー。配信でマルチプレイ専用ミッションを遊ぶために視聴者からバディを募ったところ、ゲーム初心者のTAIが名乗りを上げる。かくしてジョニさんとTAIさんの奇妙な共同戦線が幕を開けたーー
演出および主演"ジョニ"役は、『弱虫ペダル』『(愛おしき) ボクの時代』などの舞台への出演、『仮面ライダーガッチャード』など複数の東映特撮へのゲスト出演も記憶に新しい天羽尚吾。
前説、壇上にスッと現れたしがない配信者のジョニさん。観客に向けて上演時間や「ゲーム実況」そのものの説明を展開したあとゲーム配信へ移行し、観客は自然にジョニさんの配信の"視聴者"となる。作中にエッセンスとしてゲームが登場するミュージカルは『BE MORE CHILL』があるけど、ここまでガッツリゲームが主題の作品はあまり聞いたことがない。「配信者」を扱ったミュージカルなんて特に。
作品内でプレイされるゲーム「マッシュ22」(かな?)はいろんなサブミッションを内包しながらもオープンワールドで買い物やBBQ、潮干狩りもできるほどの自由度があるゲーム。他プレイヤーからの奇襲・略奪も頻繁に起こるらしいので、なるほどGTAを一人称視点にしたようなゲームっぽい。
バーを模した……というか実際のバーに組んだシンプルなセットに、照明とSE、身近な小道具で戦いと痛みを表現する。シアタークリエにかかっているタイプの、オフ・ブロードウェイから持ってきたような現実と距離がほど近い作品が個人的に大好きなので、期待感は高まる。
ゲーム自体は殺伐としている中、ジョニさんの推しポイントは「ミッションクリア後に見える朝日」や「九十九里浜を連想させる浜辺の潮干狩り」。その着眼点には、競争をそれほど好まないジョニさんの性格が反映されていそう。自分が見つけた"好きなところ"を自分の言葉で語る所謂"推し語り"をしているときがすごく楽しそうで(あと本当にいそう)、もし実在の配信者さんだったら好きになってそうだな〜と思った。
優しい声質で物腰柔らかな雰囲気をまとうジョニさん。そのまま自身の身の上話へ移行するとその口調が次第に吐き捨てるようなものに変わり始め、「地獄選び」のナンバーに突入。ラップを交えた不穏なナンバーで、ジョニさんが現状の健康状態と社会的立場・現状への不安を歌う。
ジョニさんは現在パワハラと長時間労働による精神疾患で不動産会社を休職中。貯金を切り崩し、身を削りながら生活しているのだ。
配信開始後、一緒に組む予定だったバディ候補にドタキャンされ、急遽配信中にバディを募ることに。すると、視聴者の一人であるTAIさんが買いたてのゲーム機を携えて名乗りを上げる。名前をおそるおそる読んでいたのでおそらく初見だろう。通話が繋がったとたん「やっぱりネットに声が乗るのが怖い」とビビるTAIさんをなんとか説得し、初対面同士の二人で戦場へ。
初心者という重荷を抱えながらの、難易度の高いミッション。倒れた自分を放置してクリアに進んでほしいと頼むTAIさんを、ジョニさんは「二人で楽しくやりたい」と決して置いてきぼりにしない。
ゲーマーのジョニさんはパッドを使用しているけど初心者のTAIさんはポータブルゲーム機(PSV◯taに限りなく近い)で参戦するのも細かい。FPSで据え置き機と携帯ゲーム機? のマルチプレイなのは若干引っ掛かったけど、Switchの携帯モード的な扱いなのだと思う。
"ゲームをプレイしながら歌うナンバー"として思い浮かぶ唯一の例が、『BE MORE CHILL』の「Two-Player Game」なのだけど、見せ方としてはアレに少し近い。コントローラーを握っているときもあれば、それをハンドガンに見立てて撃ったり、「ゲームのプレイ」が照明とSEと役者の動きでスマートに舞台に顕現されている。ただこの作品ではモチーフとなるゲームがFPSなので、常に一発Deathの緊張感が静かに漂っている。色んな意味で。
ゲーム中の台詞・展開のひとつひとつが見逃せない作りとなっている。ジョニさんとTAIさんのスタンスの違い。有事の際の立ち回り。二人の心の距離。クリアできたミッションと、できなかったミッション。そして、時々危うく踏みそうになる"地雷"。なので、何回も繰り返し観られるアーカイブとの相性がとても良い。尺が約60分なのでリプレイしやすいのも助かる。
ミッション中、TAIさんは実はジョニさんがこの配信をもって活動を引退しようと思っていたことを知る。自分を助けてくれたジョニさんに対して「恩返し」がしたいと言うTAIさんは、自分とコンビを組んで配信をしないか、と提案する。
超ビッグストリーマーの場合は別として、基本的にいち個人である配信者と視聴者のボーダーは結構曖昧で、時と場合によって行き来することはよくある話。「自分も配信者という立場になることで推しの配信者を支える」という在り方も実例として存在するので、TAIさんのモチベーションがその方向に繋がるのは腑に落ちた。
そんな"TAI"役を、俳優として『VIVIANT』『東京リベンジャーズ』等に出演しながら、シンガーソングライターを両立する海老原恒和が務める。
夜は弾丸をばらまき、昼は社会人として働くTAIさん。ジョニさんと比べるといろんな場所・空間との境界付近に立っているキャラクターで、いくつもの顔を持ちながら人物としての接続性を保たなければいけないように見える。そう考えると本当に難しいバランス感覚なんだけど、海老原さんは声質や演技を極端に変えずとも自然にTAIさんとしてそこに存在してて、すごいな〜と思った。
この作品の楽曲もすべて海老原さんが作曲している(作詞は天羽さん)。「アーバン・ポップ・ミュージカル」というジャンル名が冠されている通り、ミュージカルらしくないシティポップのような曲調。でも挿入やリプライズのやり方はすごくミュージカルっぽくて、この自然さも最近のOff-BWっぽい香りがする。処女作とは思えないほど楽曲がこなれていて、芝居と曲を行き来するときのぎこちなさがまるでない。国産ミュージカルでここまで芝居と曲のバランスが"ちょうど良い"作品を、自分はあまり知らない。リアルとヴァーチャル、プレイヤーと操作キャラクターなど、あらゆる境界が自然に薄れていくこの作品とも合っている気がする。
生粋のゲームオタクで体を動かすのが苦手のジョニさんと体育会系で「押忍」が口癖のTAIさん。対称的にも見えるコンビは徐々に人気を獲得していく。こうして日々戦場に身を投じる中で、お互いが抱える"地獄"の中身が次第に紐解かれていくーー
この舞台を終始穏やかに観ることができなかったのは、ぼくもひっそり配信をしたり観たりしているからだ。FPSではないが某オールスター対戦ゲームのゲーマーで、零細ながらも大切な視聴者さんと不定期にゆるゆるやっている。ぼく自身も配信者の"推し"がいたりして、配信活動をテーマとしたAdvent Calenderに視聴者としての雑感を寄稿したりもしている。なので、ジョニさんの気持ちもTAIさんの気持ちも、多分少しはわかる。『現実逃避行』のナンバーはそんな草の根配信活動の根源的な面白さに溢れてて、中でもジョニさんとTAIさんがアロハシャツで楽しそうに踊るシーンが大きな落涙ポイントだった。
少し話がそれるけど、ごく稀に自分にすごく肉薄してるなと思うミュージカルに出会うことがある。たとえば『ファン・ホーム ある家族の悲喜劇』で描かれた家族模様は、父親が既婚隠れゲイでトラックの前に飛び出したことを除けばあまりにも自分のそれに似ていた。2018年にシアタークリエの日本版を観たとき、この感覚をまさか海の向こうの作品で味わうなんて、という衝撃があった。
『NOW LOADING』はそれ以上だ。「地獄を選ぶ」という概念も、「何のために生きる、ことにしていく?」という問いかけも、「死ねと言われたら死ぬのだろう」という半笑いの諦念も、すべて身に覚えがありすぎる。自分をサンプリングしてるのかとすら錯覚するくらい。でも当然そうではなくて、きっと思っているより普遍的なことなのだろう。語られることが少ないだけで。
この作品はゲーム配信をギミックとしながらも、ド直球にトキシック・マスキュリ二ティの話でもある。トラディショナルな社会で生きている以上その土俵に立った者は誰一人無関係ではいられない、受け継がれる負の連鎖。踏みつけられることから身を守るためには、自分も誰かを踏みつけるしかない。ちょうど数ヶ月前、n年ぶりにジョニさんと似たシチュエーションを体験した自分は、ボロボロの体で引き金を引いた感触がまだうっすら残っている。金ピカで底が厚いけど鈍重なゲタを無理やり引っ剥がして、代わりに時限爆弾でもくくりつけたかのような。この作品で繰り返される「地獄を選ぶ」とは、多分こういう感じだ。
多くのゲームには勝敗の概念がある以上、「勝って何かを得る/負けて何かを失う」という物差しから完全に逃れることはできない。それ自体を過度に悲観することはないと思う。ただありのままそこに在るだけ。現にこの作品でも、最終的に物語を牽引するのは「不可能と思われるミッションの達成可否」である。
でも勝利の価値が結果そのものではなくその後に見えるハリボテの朝日にあるのならば、きっとジョニさんとTAIさんは今の戦場とは違う地平での連帯ができるはずだ。わかんない。でも、きっとそうだと信じたい。
数年前のある日、背広の重さに限界を迎えた自分は今は亡き日比谷コテージで『男らしさの終焉』(グレイソン・ペリー著,小磯洋光訳)を藁にもすがるような気持ちで手に取った。このような最初から適切な選択肢を踏める幸運は、残念ながらすべてのヒトに訪れるわけではない。
既存のミュージカルファンダムでない人の中に、この作品が救いとなる人もいると思う。届いてくれたらいいなぁと、ただ願うばかり。日本にはこんな面白い創作もあるよ。
※掲載の写真は、公式サイト内「転載可能舞台写真」より(撮影:黒瀬友理)
配信視聴者の1年半 〜消極的Twitchライフスタイル〜
まえがき
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【特別ふろく!:推し配信者烈伝その1】
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2023年のTwitchの使用状況を集計・開示してくれるTwitch Recap 2023によると、ぼくがこの1年間でTwitchへアクセスした日数は354日だった。2021年まではほぼゼロだったことを考えると、その生活への侵食具合は大したもの。でもしょうがないよ、実際ハードルめちゃくちゃ低いんだから。NETFLIXやU-NEXTはなんか重いから、アイコンをタップするのに目的意識が必要になるんだもん。