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補足説明! ジャンル反復横跳びパーソン

『クラユカバ』『クラメルカガリ』各60分にぎゅぎゅっと凝縮された濃厚なエンタメを、ぜひ劇場で体感してほしい話

取り急ぎ伝えたいこと

『クラユカバ』という、ズボラな探偵(演:六代目神田伯山)が地下世界でドンパチする映画があります。講談・落語調の台詞回しが最高です。
『クラメルカガリという、成田良悟原作のジュブナイル + わいわいがやがや群像劇な映画もあります。ハートフルで喉越しが良いです。コミカライズもあります。
・暴力的なシーンはありません。戦車とかダイナマイトとかバンバン出てくるけど、人が(直接)死ぬシーンはありません。全年齢対象・注意喚起不要(ここ重要)。
・面白いので、売れてほしいです。続編が出てほしいです。今もすごく盛り上がってますが、もっと盛り上がってほしいです。
・明らかに映画館で観ることを意図した演出・音響なので、映画館で観られるうちに観てほしいです。
 
 
 
ある程度のネタバレを含みます。核心的な部分には言及しませんが、一切の前情報を入れたくないという方は、ここから先は......有料で。
 
『クラユカバ』『クラメルカガリ』 2024/04/12 鑑賞
『クラユカバ』『クラメルカガリ』原作・監督・脚本:塚原重義
『クラメルカガリ』原案:成田良悟
 
 
 
 

『クラユカバ』『クラメルカガリ』とは?

4月12日(金)に公開された二本のアニメ映画。『ウシガエル』『端ノ向フ』など、2000年代前半よりインディーズ・短編作品というフィールドで活動してきた塚原重義監督の初の劇場長編作品にして二本同時公開。
 
松田優作的ズボラ探偵が潜り込む胡乱な地下世界、伝奇ホラーのかほりが仄かに漂う『クラユカバ』と、成田良悟の小説をもとにしたジュブナイル + ハートフル(?)群像劇『クラメルカガリ』。
両作に共通する特徴は、「クラガリ」というワードと装脚戦車によるドンパチ(なお人は死なない)、大正ロマンと昭和レトロが混じり合った独特なアートに、落語・講談調の軽妙なセリフ回し。
 
同じ世界・同じ年代を舞台にしながらも対照的な作風の二作品は、どちらから観てもよいし、どちらだけ観てもよい。一作ごとに約60分。今日は帝劇、明日は三越。好きな鑑賞スタイルを選べる、現代人に優しいレトロ・ファンタジイです。
 

『クラユカバ』

巷を賑わす犯人・目的・手法すべて不明の「集団失踪事件」。唯一の手がかりは犯行現場に残された不気味な"轍"。貧乏探偵の荘太郎は、ひょんなことから集団失踪事件の謎を追い始め、街の地下に建立されている「クラガリ」に潜入する。ヒトも、モノも、何がどこまで潜むか全くわからない地下世界を探索する荘太郎は、クラガリを走る装甲列車と列車長タンネに邂逅。長くクラガリを走ってきたタンネの忠告は、日なたの世界から足を踏み入れた荘太郎の脳天を突く。
「クラガリに――曳かれるな」
 
 
走り出したら60分、スタッフロールが流れるまで止まらないジェットコースタームービー!!
慣れ・ダレ・崩れが一切ない、全体的に軽妙な語り口で進むエンタメ映画です。
観た後の気持ちを例えるなら、ハイテンポな海外戯曲に小一時間取っ組み合ったあとに感じる妙な清々しさ! ワンカットごとの情報量が半端なくて、自然と観客も取りこぼすまいと必死に食らいつく。
でも実際に観てみると「この膨大な場面転換とセリフ量、それらを捌きながらちゃんと話の筋を観客に理解させてるの、やってること凄くない??」と思います。物語の根幹が割りとシンプルな「行って帰る」文法なのも作用してるのかもしれません。
塚原監督の短編での話運びが割りとそのまま継承されているので、気になる方は短編で試しておくのもいいと思います。『端ノ向フ』とかいいかも。でも、ちょっと怖いしヒトは死ぬよ。きをつけてね。
 
他にも大きな特徴として、めちゃめちゃ「芝居を観た」って感覚になりました。
主演の荘太郎を演じたのは人気講談師の神田伯山。他の芸事に従事されている方が声優をすることについてはいつの時代も議論を呼びますが、伯山さんの荘太郎はこの声以外考えられないくらい最高です。伯山さんが主演を務めていることがそのままこの作品の特色になっていると感じます。
伯山さんの常にいい感じに肩の力が抜けて飄々とした喋り方が、「いつもはひょうきんで、でも時にはカッコいい」という荘太郎のキャラクターにすごく合っていて、あまりにもマッチしてるものだから不思議と観てる間は「神田伯山が演じている」ことを意識しなくなるんですよね。
荘太郎ってちょっと目が垂れてて不器用な感じを醸し出しててそれが私の庇護欲を掻き立てるのですが(知らんわ)そのルックスに伯山さんの静謐な低音が重なるととても良いギャップが生まれるのです。
あと映画館に伯山先生の声がこれだけ長尺で響く機会もそうそうないじゃないですか。講談って基本映画館で流れないので。ゆえに、映画館で観るのがオススメです。
監督の演技ディレクションなのか、声優を本業とされている方もすごく湿度抑えめの話し方を貫いています。タンネ(黒沢ともよさん)も一瞬俳優さんかと錯覚したくらい徹底されています。演技のトーンがすごく生芝居に近い。
間の取り方や台詞の被せ方、質感としては朗読劇に近いものがあり、普段アニメをあまり観ない方も馴染みやすいと思います。監督と縁深い活弁士の坂本頼光さんが兼役で参加し、劇中活弁調のナレーションがガッツリ入るのも特徴。映画館で観ると「あ〜、活動写真を観てるなぁ」感がすごい(?)です。
 
クラいシーンもありますが、基本的に楽しい映画です。後味も爽やか。
いい意味での自主制作感があり、あらゆる損得を可能な限り度外視して観客を楽しませようというサービス精神に満ち満ちてるのが画面から伝わってきます。直接人が死ぬシーンはなく、暴力描写も必要最低限に抑えられてて観やすい。戦車や銃のドンパチもありますが、民間人を一切巻き込まずやりたい奴らが勝手にやってるだけなので大変景気がよろしい。
個人的にはとある何でもないシーンで唐突にウィルヘルムの叫びがすっっっごくマヌケに挿入されたのがツボで、「コレわざとやってない......?」という期待を抱いてたらオーコメの該当シーンでちゃんと監督とPが大爆笑してて安心しました。
あと、いいメインテーマは何度もリプライズしてほしい派のヒトに朗報なのですが、この映画はいいメインテーマが何度もリプライズします。ゆえに、この作品は映画館で観るのがオススメなのです。
 
 

『クラメルカガリ

youtu.be

 
「泰平工業 日ノ出炭鉱」――通称"箱庭"。監獄に端を発し炭鉱業で急激に発展したこの街は、地盤ぼこぼこ穴ぼこだらけ。お上の管理も行き届かず常に地形が変容し続けるこの街で、地図描きを生業とするカガリ。同年代で同業者のユウヤと一緒に大坑道の地図を描く日々を送るなか、街の奥底に潜む陰謀に巻き込まれることになる。頼れる大人は、情報屋稼業の"伊勢屋"と狛犬市場のドン"栄和島"。箱庭全体を巻き込んだ大騒動の果てに、カガリとユウヤの運命や如何に!?
 
 
『クラメルカガリ』は、出自がそもそも特殊です。『クラユカバ』もじゅうぶん特殊ですが、それに輪をかけて。
『クラユカバ』の製作に向けたクラウドファンディングに小説家の成田良悟さんが出資したことをきっかけに、『クラユカバ』のスピンオフとして成田さんが執筆された小説が『クラメルカガリ』。それを原案として『クラユカバ』と同ボリュームの映画として製作(どういう発想で?)、驚天動地の二作同時公開へと至る。
『クラユカバ』と比べて伝奇要素は抑えめに、いろんな立場の大人たちが一つの事件をめぐって好き勝手に暴れ回る群像劇と、それに振り回されつつも懸命に生き抜くふたりの子どもの姿が描かれる。直接的な相関関係もほぼないので、どちらから観てもいいしどちらだけ観てもいい。クラガリは、自由だ(?)。
 
ちょっとご容赦いただきたいのですが、ここから先、「良い」「好き」というワードが異常なほど増えます。『クラユカバ』はその映像・芝居に息を呑んだ一方で、『クラメルカガリ』は理屈抜きで観客の心をガッシリ鷲掴みにする性質を持つので、私はちょっとどうしようもなくなっちゃってます。筆に起こすのが難しいタイプの「良い」で、変に類語をこねくり回すよりもう「好き」と言うしかないタイプの「好き」が溢れ出てるので、お見苦しいとは思いますが、何卒。
 
自分は元々ジュブナイルものが好きで、今も最新の児童文庫やYA小説を愛読しているタチです。理不尽な現実に立ち向かったり、自分の悪感情に不器用ながらも向き合ったり、対話によって考え方の違いを乗り越えたり、乗り越えなくともそれなりの折り合いをつけていくお話がすごく好きです。
この作品、すごくその息吹を感じます。いや、スジモノも実銃も装脚戦車も出てくるし時にはダイナマイトとか投げたりするんだけど、でもでも作品の根底に流れる倫理観がすごく...良いのです。子どもが危ないことしてるのも、ちゃんと本来やっちゃ駄目なことだよって明示してるし。カガリとユウヤの関係性の描き方、好き好き大好き。私が好きな関係性ってことは、この二人にはとある異文化理解の要素があるのですが、それを掘ると核心に抵触しちゃうからあまり詳しく言えないのがもどかしい......大手を振って語りたい......
 
というかこの映画では潜入したり人を救出したり己の道を切り開くといったヒーロー的行動をことごとく(ユウヤでなく)カガリが担当してて、そんなところも好きです。あと、大人がちゃんと子どもを庇護するところ。伊勢屋の旦那...好きだ...
 
先ほど「心を掴まされる」と書きましたが、私の場合は、後半のあらゆるシークエンスで畳み掛けるように、何度も何度も何度も心を揺さぶられて、スタッフロールもロクに観られず、涙が引かないので逃げるように丸の内TOEIをあとにしてその後のことは記憶にございません。その心中はすごくパーソナルで、文章に起こしたところでうまく伝えられる気がしないし、それを書き起こす過程で何かが削ぎ落ちるような気がしてなりません。あとネタバレになる。それでも何か書けることがあるとすれば。
急に自分語りをすると、私は誰かが作った文章やデザイン、創作物をくらべてけみするお仕事で生計を立てているのですが、この映画での「紡ぎ」というお仕事の描き方が仕事人としてモロにクリーンヒットしたところはあると思ってます。
あ、「紡ぎ」というのは架空の職業で、常に道ができたり消えたりと流動し続ける"箱庭"の地形を地図に描き記し、しかるべきところに納品するお仕事のことです。カガリもユウヤも、実際に街を歩いて変わったところがないかをチェックしたり危険な坑道に潜ったりと、裸一貫でそれなりの苦労をして働いてるみたいです。
ペンを滑らすのが仕事だけど、創造的な匂いはそれほどしない。確実に人の役には立つが、どこか賤業っぽさも拭えない。いったん自分の手を離れたら、その行方にタッチすることはない。うん、どことなくシンパシーを感じるような......?
ちなみに、ユウヤは「紡ぎ」の仕事を稼ぐ手段としか捉えてません。一方カガリは......このようにカガリとユウヤで仕事への向き合い方が異なるのもよくて、後半でそのズレが効いてくるのも好き。そのズレをも内包して突き進むラストの展開のひとつひとつに私の心は押しつぶされる。怒涛のハイテンポの前には悲鳴をあげる暇もなく、大げさでなく十数秒ごとに10tのエモがズン、ズンと積み重なっていく。だ、だれか。助けて。しぬ。
 
まぁ全然ここまで入れ込まなくても大丈夫なんですけど、伊勢屋と栄和島という腐れ縁の超絶顔良男とか、凛とした大人の女性のシイナさんとかちんまりかわいい飴屋さんとか、あらゆる方面に刺さるキャラクターが勢ぞろいし少し古風で上品な言葉遣いをしながらお互いがお互いの得意分野で暴れます。
なので、『クラメルカガリ』は『クラユカバ』より若干キャッチーめです。
 
 
ちなみに『クラメルカガリ』にはコミカライズ版があります。MAGCOMI(WEB)とコミックガーデン(雑誌)で連載中。
映画にも原画等で参加された彩naTsu先生が漫画を担当しており、同じく映画に参加したスタッフ陣がアシスタントとして参加されている、なんかすごい布陣です。元はといえば私は先生のファンで、映画自体もコミカライズの告知を機に知った人間なので、私にとってはそもそも映画を観るきっかけなのです。
単体で一本の漫画としても面白く読めます。映画と見比べるとわかるのですが、台詞・お話の構成がすごく丁寧に変更されていて「観る・聴く」から「読む」媒体にちゃんとチューニングされてるの、読者への気配りが行き届いてて好きです。
コミカライズならではの良さもあり、第一話では竪坑内でのカガリとユウヤに追加シーンが約6ページも。カガリとユウヤのゆっくりと流れる時間と心の機敏の描き方がとても絶妙で、私の好きなジュブナイル要素がさらにマシマシになりました。ユウヤくんがいじらしさを見せる細やかな表情の動き、ほんと天才なのでぜひ一読してほしい。ユウヤくん、すきだ......
まずはWEBで気軽に読むのが良いと思いますが、より臨場感を味わうならコミックガーデン本誌で読むのもオツなもの。暗さの勾配の変遷に伴ってページの重量に差が出たり、読んだあとに手にインクがついたりするの、妙に作品とマッチしてる気がしてて楽しいのです。
 

おわりに

ここまでお付き合いいただいた方、ありがとうございました。曳かれそう曳かれそうとは思っていたのですが、まさかここまで曳かれてしまうとは......
数ある魅力からどこをかいつまむかに迷いつつ、私は私なりの推し方をするしかないので、もしこの散文がどこかの誰かのフックに引っかかれば嬉しいな、と。
『クラユカバ』『クラメルカガリ』は現在公開中。この二作に限らず、今後制作陣がその作品世界をさらに広げようとする気運をひしひしと感じるので絶対応援です。みんなクラガリにおいで......
コミカライズも含めるとまだまだ作品世界をじっくり楽しめそうなので、今が曳かれ時だったりするかもしれませんね!
 
 
 
【入り切らなかったお話】
『クラメルカガリ』には、2024年3月にご逝去された寺田農さんが朽縄(くちなわ)役で出演されております。
3月末に本作の追加キャスト発表の告知が出るまで、(一部の選ばれた人を除いた)全人類が、寺田さんの最後のお仕事は『ウルトラマンブレーザー』であると思っていたハズで、『〜ブレーザー』では悪役として大立ち回りを見せながらも、罰を受ける/受けない以外の形でその顛末を見せたのがとても良かったなぁと思ったのですが、一方の『クラメルカガリ』では善玉としてすごく良い役をいただけてて、特にとある「寺田農無双(としか今は言えない)」の爆発力は凄まじいものがありました(非殺傷兵器で殺傷兵器を制圧するのも最高だった)。他者の往生に勝手に意味を付与するような真似は避けたいところですが、直近のお仕事が奇しくも実相寺イズムを受け継ぐ二作だったのはこう、傍目には良き巡り合わせだったのでは、なんて思ったりもしました。
あまり関係ないですが『クラメルカガリ』は往年の怪獣映画パロが多いのが嬉しくて、元ネタがわかったオタクはすぐ早口になっちゃう。ほら見て、あれは大映だよ。
 
 
 
 
 

歌舞伎文化の入門に。ただ刺激は強め。 舞台『中村仲蔵 ~歌舞伎王国 下剋上異聞~』

2024/04/06 配信
演出: 蓬莱竜太
脚本: 源 孝志

 

血統が重視される歌舞伎界において一代で千両役者まで成り上がった役者・初代中村仲蔵の半生を、ホリプロステージが豪勢に舞台化。中村仲蔵の人物・逸話に関する事前知識は神田伯山先生の講談YouTubeで観たことがある程度。歌舞伎の知識はほぼゼロ。ミュージカル、海外戯曲といった西欧の色が濃い商業演劇を偏狭的に求める自分は恥ずかしながら歌舞伎をちゃんと観たことは一度もなく、生で観た歌舞伎は何かと問われたらもうJCSのジャポネスクしか選択肢がない。でも歌舞伎って面白そうだしためになりそうだし勉強したいと思いながら、なかなか手が出ない。その最初のハードルをいい感じに緩和してくれそうな作品だと思ったし、実際その通りだった。

なんせ、お話を読み解くのに必要な情報はすべて舞台上で説明してくれるのだ。池田成志演じるコン太夫という超便利な「第三の壁を気軽に越える人物」が配置されており、物語のクライマックスとなる『仮名手本忠臣蔵』五段目の上演前にはその作品解説を10分くらい懇切丁寧にしてくれた。物語のあらまし、五段目前後の流れ、斧定九郎がいかに取るに足らない役か、など......

 

前回観た『カム フロム アウェイ』(これもホリプロだ)は、12人で100人を暗転なしで演じ切る、そのために演じながら次々と椅子や衣装を入れ替えて緻密なオペレーションを達成する作品だったので、『中村仲蔵』のひたすら身一つで真っ直ぐエネルギーを爆発させる芝居は実家のような安心感だった。

 

"血がない役者"である仲蔵。その後ろ盾は......まぁあるにはあるけど心許ない。自分からグイグイ行かないと何もチャンスを掴めないので、あらゆる起点は仲蔵から始めないといけない。その点、藤原竜也がもう完璧で、全てを捨てられるほどの芝居バカという設定.....設定というか、まさに舞台上で"そのように"生きてる。配信映像のフォーカスもすごくて、汗も、鼻水も、唾も、顔中からあらゆる液体が滝のように流れるさまをドアップで映し出す。その姿の前には如何なる雑念も洗い流されてしまう。

ひとつ大きな注意喚起として、仲蔵に対する性暴力やいじめのシーンが結構ガッツリとことん痛々しく描かれる。藤原竜也がまたすごい形相でそれを受けるので良くも悪くも目を背けることも難しいので、苦手な方は本当に気をつけて......

 

「ただ純粋にこれをしたい」という夢が、生まれ持った属性をあげつらわれ阻害され志半ばで潰えていく。本当に、考えるだけで心がきゅっとなるくらい残酷なことで、残念ながら今もそこかしこで起こっている。伯山先生も「『中村仲蔵』は現代人に響く」というコメントをこの舞台に残したように、講談のなかでも『中村仲蔵』の人気はずば抜けてるイメージがある(それこそぼくでも聴いたことがあるくらいには)。少なくとも「仲蔵の生き様を胸に私も現で頑張ろう」という期待を抱かせていることが無関係ではない気がする。それがぼくにとって勇気なのか呪いなのかは、今の自分にはまだわからないけども。

『カム フロム アウェイ』 は東京以外に5府県もツアーするし月額900円一週間無料のApple TV+で配信もしてるので実は敷居がかなり低いぞ!

2024/03/08 ソワレ 日生劇場


演出:Christopher Ashley
脚本・音楽・歌詞:Irene Sankoff / David Hein
翻訳:常田景子 訳詞:高橋亜子

 

(四季以外のミュージカルはじめて最前センブロで観た......)
 
 
2001年9月11日。ニューヨークで発生した同時多発テロによってアメリカの領空が一時的に封鎖された。一方、カナダの最東端に位置するニューファンドランド島・ガンダーの住民はお互いが顔見知り。いつもの日常を過ごすはずだった島民たちのもとに、突如38機もの飛行機が押し寄せる。領空封鎖によりアメリカへ着陸できなくなった数多の飛行機が緊急手段としてガンダーの寂れた国際空港に次々と降り立ったのだった。人口約1万人の島民たちは、人種・宗教・言語などがバラバラな9000人超の「カム・フロム・アウェイズ」を迎えることとなってしまう。寝床は? 食事は? 機内に残されたペットの世話は? 非英語話者との意思疎通は? トラブルと例外だらけの異文化交流は、"迎える者"と"訪れる者"の間に奇妙な絆を産み落としていく――
 
 
自分がこの作品を知ったきっかけは、日本ではWOWOWで中継された2017年(えっ、そんなに前......?)のトニー賞授賞式で披露された『COME FROM AWAY』のオープニングナンバー「Welcome To The Rock」。普通のキャップやチェックシャツ、ジーンズなどに身を包んだ体型も年齢も異なる12人の老若男女が、ケルティックな劇伴に合わせ足でビートを刻んでいる。子どもの送り迎えについて軽口を交わす妙齢の主婦に、スピード違反をネズミ捕りする中年の警官。ミュージカルのパブリックイメージにはそぐわない飾りっ気なしの会話を交わしながらも、「自然災害も送りやすく、派手な生活も送れず、時には愛する人も失う。それでも、自分たちこそが名もなき島民である」と高らかに宣言していぶし銀なタップを踏む。その有無を言わせない"凄み"がめっっっっっちゃくちゃカッコよかった。トニー賞授賞式そのものを初めて観た自分にとって、「今のブロードウェイミュージカルってこうなんだ」と強く印象付けられたパフォーマンスだった。
 
 
そんな作品がついに日本人キャスト(またまたまたまた『DEAR EVAN HANSEN』より先に……ってかこっちはいつ来るんだろう)で上演。主催はホリプロステージ。こういった新進気鋭のBW作品の輸入、ついこの間までは東宝シアタークリエで独自演出でやるか or ホリプロがレプリカでやるかの2大巨頭だった気がするが、最近のクリエのラインナップを見るにもう東宝はあまり積極的じゃないのかもしれない。事情は察せられるけれども。ホリプロが版権を取ると、開演前に一曲まるまる歌唱映像を公開したり、作品の解説映像をふんだんに用意したりと、作品内容を押し出したプロモーションに励んでくれるのが嬉しい。特に今回のCFAは公式動画が追い切れないくらいの分量で、これらに加えApple TV+のBW版本編を観るだけでも作品を充分堪能できるので、公演期間中に観られない方もオススメ。
 

 
100分間、約100人を、12人のキャストで演じ切る。例えばレミゼでも場面によってはプリンシパルが群衆に混ざってLook Downしていたりするが、それを100分間ずっとハイテンポで走り抜けるような印象だった。比較的最近のブロードウェイ作品なのでもちろん暗転なんてものは存在しない。意外とミュージカルが苦手な人も観られる作品だと思う。「ミュージカルに免疫がない人にも勧められる作品」って色んなアプローチがあるよな〜と常々思っているけど、CFAは「場という概念すら疑うほどの緻密さで、もはや合間に挟まる歌をノイズに感じる暇すらない」という、珍しいタイプ。
日本版の、右を見ても左を見ても著名で"市井の人々"感が薄い個性つよつよキャスト陣は発表時に議論を呼んだけれども、蓋を開けてみれば全員が均一に高レベルな歌と演技力で、しかし誰かが誰かを喰うこともなく、多少の好みはあれどすごくバランスよくまとまっていたんじゃないか。もちろんより作品に則したベストな形を追い求めてほしくもあるけれど、ここまでゴールデンキャスト揃えて全席完売していない現状を見るとどうすれば実現可能性があるのか考えあぐねる日々でもある。
 
そりゃまぁ、どうしても難しい部分もあった。鈍感な自分は加藤和樹演ずる警戒心の強い男性CFAsに対して「そりゃ急に知らん地域の知らんおっさんの家にあがることになったら警戒もするわな」という理解で観ていたので、彼が黒人であることはBlueskyでの岡田育さんの投稿で初めて知った。「なんで彼が『背中を見せたら殺される』と思っていたのかもっと考えていれば......」という自分の観察眼への惜しさとか、「この作品に関しては(たとえ縦軸に影響がなくとも)人種の情報はできれば取りこぼしたくなかった」とか、ちょっと頭がぐるぐると......。そもそも元々の作品が観客に小さな補完を常に要求するスタイルなのに加え日本版は2分ごとに様変わりする登場人物それぞれにオリジンも当てはめる必要があり、ヴィジュアル的なわかりやすさはどうしても欧米キャスト版に軍配が上がる。
念のため、ここで言いたいのは「わかりやすく示せ」でなく単に「難しいなぁ......」というぼやきである。少なくとも『パレード』の黒スカーフとか、『ラグタイム』の白人と黒人で衣装を分けるなどの処置は(たとえレプリカ演出でなくとも)この作品に限ってはなんか過剰な気もするし、「先進的な価値観を持つ白人男性を演じる俳優が、ひとたび帽子を被ればイスラム系の被差別者に転化する」という核は原語版とそう変わっていない。何より、顔にドーランを塗りたくらずに「不信の一時的停止」を観客に委ねる選択をしたのはめっちゃいい判断だと思うので、総合的に今できる範囲では良い塩梅なんじゃないかなぁ、という感想に落ち着いた。
 
自分にとって9.11は物心がまだついていない頃に起こり、後年詳細を知った歴史上の事件、という認識だった。2棟のビルが崩れ落ちる映像をその時期に観た記憶すら全くないので、そういう意味では自身と似た年齢の子どもが標的となり周りの大人たちの不安がダイレクトに伝わった附属池田小事件の方がまだ朧げである。
「9.11のミュージカルと知れば観に来てもらえないかもしれない」と製作陣も感じており実際に難色を示すサバイバーの方もいらしたそうで、凄惨な被害描写みたいなものは必要最小限(≒遠く離れた街にいる人が間接的に受け止める範囲)に抑えられている。その上で作品のトーンが重くならずに軽快さを保てているのは、史実をサブに置いてひたすら個人的な体験・感情に軸足を置いているからだと思う。テレビで惨事を追うことしかできない無力感。思わぬ相手と気持ちが通じ合ったときの高揚。肉親の安否がわからない不安。客人を見送ったあと、前となぁんにも変わらない筈なのに「何かが欠けた」と感じる。先日「遠方からの訪問者に自ら手料理を振る舞い同じ食卓を囲む」ということを5,6年ぶりに経験したとき、「港が欲しけりゃドアは開いてる」の構えでいることが思ったより自分の心を揉みほぐしてくれることに気付いた。それで相手も喜んでくれりゃ、なおよし。
 

 

 

日生劇場で3月29日まで上演後、大阪・愛知・福岡・熊本・群馬をツアー予定。

horipro-stage.jp

Apple TV+で日本語字幕版を配信中。

カム・フロム・アウェイを視聴 - Apple TV (日本)

60分一本勝負の配信者ミュージカル『NOW LOADING』がすごく好きなやつだった上になんと2/4(日)までアーカイブ配信で観られるらしい

■取り急ぎ伝えたいこと

・『NOW LOADING』っていうミュージカルがめちゃくちゃ良かったです。
・ゲーム配信者と視聴者(のちに配信者となる)を描いたふたり芝居形式のミュージカルです。
・社会のままならなさとほんのりミステリー要素、男ふたりの(耽美でない)連帯などを描いています。
・現在アーカイブ再配信中で、上演時間は約60分。2000円でめっちゃ気軽に観られます。
・~2/4(日)までの期間限定です。

amoshogo.com

 

 

地獄の高難易度ステージに挑む、男ふたりの傷と連帯。

 

 

こういうミュージカルが欲しかった。
ほんとに。
日本でこういった作品を作ってくれてありがとうと、ハッキリ言葉にして残したい、と思う。


脚本は世にも奇妙な物語『成る』『なんだかんだ銀座』の相馬光。2023年2月に東中野のバー・ライブスペース「驢馬駱駝(ろまらくだ)」で上演後、同年3-4月にアーカイブ配信。推し文筆家の岡田育さんが劇評を書かれていたのが目に留まり気になってはいたけど、いろいろと時期が悪かったために観られず。
ところが、ありがたいことに2024年1-2月にアーカイブ再配信。チャリティー企画による再配信で、国境なき医師団とUNHCRへ売り上げの50%が寄付されるらしい。時間を作って1月15日に視聴。見事に心を奪われた。

ド長文感想をゆっくりじっくり書き連ねたいタイプの作品であることに加え2月11日(日)に漢検の受験を控えておりてんてこ舞いだったので、このブログ記事は「不本意だけど配信期間後に載せるかぁ〜......」という心持ちだったのだが、制作背景を話したPodcastを聴いているうちに心境が変化し「なんとしても配信期間中に出さねば......皆が観られるうちに......」と静かに奮起したので、「過去問は1日1回必ず解く」という自分に課したノルマをぶち破って書いている。

よかったら、観てほしい。本当に良いのです。ただ良いだけでなく、ぼくが「日本のミュージカルにこんな多様性があってほしい」と願う理想の未来の可能性でもあるのです。あと数日だけど、まだ間に合うよ。

 

 

ゲーム配信者・下部ことジョニは、とあるオープンワールドFPSのプレイヤー。配信でマルチプレイ専用ミッションを遊ぶために視聴者からバディを募ったところ、ゲーム初心者のTAIが名乗りを上げる。かくしてジョニさんとTAIさんの奇妙な共同戦線が幕を開けたーー

 

演出および主演"ジョニ"役は、『弱虫ペダル』『(愛おしき) ボクの時代』などの舞台への出演、『仮面ライダーガッチャード』など複数の東映特撮へのゲスト出演も記憶に新しい天羽尚吾。
前説、壇上にスッと現れたしがない配信者のジョニさん。観客に向けて上演時間や「ゲーム実況」そのものの説明を展開したあとゲーム配信へ移行し、観客は自然にジョニさんの配信の"視聴者"となる。作中にエッセンスとしてゲームが登場するミュージカルは『BE MORE CHILL』があるけど、ここまでガッツリゲームが主題の作品はあまり聞いたことがない。「配信者」を扱ったミュージカルなんて特に。

作品内でプレイされるゲーム「マッシュ22」(かな?)はいろんなサブミッションを内包しながらもオープンワールドで買い物やBBQ、潮干狩りもできるほどの自由度があるゲーム。他プレイヤーからの奇襲・略奪も頻繁に起こるらしいので、なるほどGTAを一人称視点にしたようなゲームっぽい。
バーを模した……というか実際のバーに組んだシンプルなセットに、照明とSE、身近な小道具で戦いと痛みを表現する。シアタークリエにかかっているタイプの、オフ・ブロードウェイから持ってきたような現実と距離がほど近い作品が個人的に大好きなので、期待感は高まる。

 

 

ゲーム自体は殺伐としている中、ジョニさんの推しポイントは「ミッションクリア後に見える朝日」や「九十九里浜を連想させる浜辺の潮干狩り」。その着眼点には、競争をそれほど好まないジョニさんの性格が反映されていそう。自分が見つけた"好きなところ"を自分の言葉で語る所謂"推し語り"をしているときがすごく楽しそうで(あと本当にいそう)、もし実在の配信者さんだったら好きになってそうだな〜と思った。


優しい声質で物腰柔らかな雰囲気をまとうジョニさん。そのまま自身の身の上話へ移行するとその口調が次第に吐き捨てるようなものに変わり始め、「地獄選び」のナンバーに突入。ラップを交えた不穏なナンバーで、ジョニさんが現状の健康状態と社会的立場・現状への不安を歌う。
ジョニさんは現在パワハラ長時間労働による精神疾患で不動産会社を休職中。貯金を切り崩し、身を削りながら生活しているのだ。

 

配信開始後、一緒に組む予定だったバディ候補にドタキャンされ、急遽配信中にバディを募ることに。すると、視聴者の一人であるTAIさんが買いたてのゲーム機を携えて名乗りを上げる。名前をおそるおそる読んでいたのでおそらく初見だろう。通話が繋がったとたん「やっぱりネットに声が乗るのが怖い」とビビるTAIさんをなんとか説得し、初対面同士の二人で戦場へ。
初心者という重荷を抱えながらの、難易度の高いミッション。倒れた自分を放置してクリアに進んでほしいと頼むTAIさんを、ジョニさんは「二人で楽しくやりたい」と決して置いてきぼりにしない。

 

 

ゲーマーのジョニさんはパッドを使用しているけど初心者のTAIさんはポータブルゲーム機(PSV◯taに限りなく近い)で参戦するのも細かい。FPSで据え置き機と携帯ゲーム機? のマルチプレイなのは若干引っ掛かったけど、Switchの携帯モード的な扱いなのだと思う。

"ゲームをプレイしながら歌うナンバー"として思い浮かぶ唯一の例が、『BE MORE CHILL』の「Two-Player Game」なのだけど、見せ方としてはアレに少し近い。コントローラーを握っているときもあれば、それをハンドガンに見立てて撃ったり、「ゲームのプレイ」が照明とSEと役者の動きでスマートに舞台に顕現されている。ただこの作品ではモチーフとなるゲームがFPSなので、常に一発Deathの緊張感が静かに漂っている。色んな意味で。

ゲーム中の台詞・展開のひとつひとつが見逃せない作りとなっている。ジョニさんとTAIさんのスタンスの違い。有事の際の立ち回り。二人の心の距離。クリアできたミッションと、できなかったミッション。そして、時々危うく踏みそうになる"地雷"。なので、何回も繰り返し観られるアーカイブとの相性がとても良い。尺が約60分なのでリプレイしやすいのも助かる。

 

 

ミッション中、TAIさんは実はジョニさんがこの配信をもって活動を引退しようと思っていたことを知る。自分を助けてくれたジョニさんに対して「恩返し」がしたいと言うTAIさんは、自分とコンビを組んで配信をしないか、と提案する。


超ビッグストリーマーの場合は別として、基本的にいち個人である配信者と視聴者のボーダーは結構曖昧で、時と場合によって行き来することはよくある話。「自分も配信者という立場になることで推しの配信者を支える」という在り方も実例として存在するので、TAIさんのモチベーションがその方向に繋がるのは腑に落ちた。

 


そんな"TAI"役を、俳優として『VIVIANT』『東京リベンジャーズ』等に出演しながら、シンガーソングライターを両立する海老原恒和が務める。
夜は弾丸をばらまき、昼は社会人として働くTAIさん。ジョニさんと比べるといろんな場所・空間との境界付近に立っているキャラクターで、いくつもの顔を持ちながら人物としての接続性を保たなければいけないように見える。そう考えると本当に難しいバランス感覚なんだけど、海老原さんは声質や演技を極端に変えずとも自然にTAIさんとしてそこに存在してて、すごいな〜と思った。

この作品の楽曲もすべて海老原さんが作曲している(作詞は天羽さん)。「アーバン・ポップ・ミュージカル」というジャンル名が冠されている通り、ミュージカルらしくないシティポップのような曲調。でも挿入やリプライズのやり方はすごくミュージカルっぽくて、この自然さも最近のOff-BWっぽい香りがする。処女作とは思えないほど楽曲がこなれていて、芝居と曲を行き来するときのぎこちなさがまるでない。国産ミュージカルでここまで芝居と曲のバランスが"ちょうど良い"作品を、自分はあまり知らない。リアルとヴァーチャル、プレイヤーと操作キャラクターなど、あらゆる境界が自然に薄れていくこの作品とも合っている気がする。


生粋のゲームオタクで体を動かすのが苦手のジョニさんと体育会系で「押忍」が口癖のTAIさん。対称的にも見えるコンビは徐々に人気を獲得していく。こうして日々戦場に身を投じる中で、お互いが抱える"地獄"の中身が次第に紐解かれていくーー

 

 

この舞台を終始穏やかに観ることができなかったのは、ぼくもひっそり配信をしたり観たりしているからだ。FPSではないが某オールスター対戦ゲームのゲーマーで、零細ながらも大切な視聴者さんと不定期にゆるゆるやっている。ぼく自身も配信者の"推し"がいたりして、配信活動をテーマとしたAdvent Calenderに視聴者としての雑感を寄稿したりもしている。なので、ジョニさんの気持ちもTAIさんの気持ちも、多分少しはわかる。『現実逃避行』のナンバーはそんな草の根配信活動の根源的な面白さに溢れてて、中でもジョニさんとTAIさんがアロハシャツで楽しそうに踊るシーンが大きな落涙ポイントだった。

 

少し話がそれるけど、ごく稀に自分にすごく肉薄してるなと思うミュージカルに出会うことがある。たとえば『ファン・ホーム ある家族の悲喜劇』で描かれた家族模様は、父親が既婚隠れゲイでトラックの前に飛び出したことを除けばあまりにも自分のそれに似ていた。2018年にシアタークリエの日本版を観たとき、この感覚をまさか海の向こうの作品で味わうなんて、という衝撃があった。
『NOW LOADING』はそれ以上だ。「地獄を選ぶ」という概念も、「何のために生きる、ことにしていく?」という問いかけも、「死ねと言われたら死ぬのだろう」という半笑いの諦念も、すべて身に覚えがありすぎる。自分をサンプリングしてるのかとすら錯覚するくらい。でも当然そうではなくて、きっと思っているより普遍的なことなのだろう。語られることが少ないだけで。

この作品はゲーム配信をギミックとしながらも、ド直球にトキシック・マスキュリ二ティの話でもある。トラディショナルな社会で生きている以上その土俵に立った者は誰一人無関係ではいられない、受け継がれる負の連鎖。踏みつけられることから身を守るためには、自分も誰かを踏みつけるしかない。ちょうど数ヶ月前、n年ぶりにジョニさんと似たシチュエーションを体験した自分は、ボロボロの体で引き金を引いた感触がまだうっすら残っている。金ピカで底が厚いけど鈍重なゲタを無理やり引っ剥がして、代わりに時限爆弾でもくくりつけたかのような。この作品で繰り返される「地獄を選ぶ」とは、多分こういう感じだ。

 

 

多くのゲームには勝敗の概念がある以上、「勝って何かを得る/負けて何かを失う」という物差しから完全に逃れることはできない。それ自体を過度に悲観することはないと思う。ただありのままそこに在るだけ。現にこの作品でも、最終的に物語を牽引するのは「不可能と思われるミッションの達成可否」である。
でも勝利の価値が結果そのものではなくその後に見えるハリボテの朝日にあるのならば、きっとジョニさんとTAIさんは今の戦場とは違う地平での連帯ができるはずだ。わかんない。でも、きっとそうだと信じたい。

 

数年前のある日、背広の重さに限界を迎えた自分は今は亡き日比谷コテージで『男らしさの終焉』(グレイソン・ペリー著,小磯洋光訳)を藁にもすがるような気持ちで手に取った。このような最初から適切な選択肢を踏める幸運は、残念ながらすべてのヒトに訪れるわけではない。
既存のミュージカルファンダムでない人の中に、この作品が救いとなる人もいると思う。届いてくれたらいいなぁと、ただ願うばかり。日本にはこんな面白い創作もあるよ。

 

 

※掲載の写真は、公式サイト内「転載可能舞台写真」より(撮影:黒瀬友理)

 

配信視聴者の1年半 〜消極的Twitchライフスタイル〜

まえがき

はじめまして。なにしょん(@nanishonshon)といいます。
 
はじめに、この記事はTwitchストリーマーであるのほほさんが主催された「Streamer Advent Calendar 2023」という企画の一記事として執筆しています。YouTube、Twitchなどの配信プラットフォーム・界隈・立場・内容を問わず記事を発表できます。
 
一応自分もチャンネルを持っててたま〜に配信はしているのですが、他の記事タイトルを確認すると配信者の方が多めに見えたので、今回は完全にいち視聴者側としてのお話をします。
とくに何も成し遂げません。役に立つTipsもありません。メッセージ性もありません。一つのモデルケースを並べているだけだと思っていただければ幸いです。
 
軽く自己紹介すると、東京都在住の20代です。いろんな界隈を行ったり来たりしていますが、たぶんこの記事に辿り着いてくださった方はスマブラの競技勢が多いのかなぁと思ってます。
 
2022年2月あたりからTwitchの配信を観始めるようになりました。それをきっかけにいろいろ遊んでいたらe-Sportsシーンや最新のゲーム事情に興味を持つようになって、特にスマブラの競技コミュニティに縁深くなりました。
一応社会人で、校正業を生業としています。一応と書いているのは数ヶ月前からお休みしてて現在はほぼニートだからです。特技はYouTubeの"T"が大文字か小文字かにほぼ100%目がいくことです。
 
あと、児童小説・YA小説が好きです。最近の個人的スマッシュヒットは、にかいどう青さん著の「スベらない同盟」で、スクールカースト上位の中学生がいじめられっ子と漫才コンビを組んで文化祭を目指す苦くてさわやかな青春小説です。ぜひ読んでください。

 
 
あと、妖怪ウォッチが好きです。使わなくなったウォッチ・メダル・フィギュア・その他グッズがお手元にありましたら、是非お譲りください。

 

 

 

 

まずは2019年までの自分を軽くおさらいしてみると、自分は世間一般よりもゲームを「しない」側の人間だったと思う。とはいえオタクじゃなかったかと言われるとそうでもない。少なくとも「スターフォックス2」をやりたいがためにミニスーファミを買うくらいのマニアではあった。
ただ、いろんなものに手を広げすぎていた。特撮、演劇、イナイレ、映画、etc......。ひとつひとつに満足な時間を割くことができず、一定周期ごとに優先順位が入れ替わる。絵にも手を出し始め、慣れない板タブでちょくちょく描いている。すでにそれら一つひとつについて集中して深めることは難しい。この現状で、受動的趣味の中では多大な時間を要するゲームの優先順位は相当低かった。
かなりの偏食で、興味の偏りようが凄まじく、知識が点々としていて線でつながらない。最新のゲームに対するこだわりもない。9000円払えば過去のタイトルが21作品も手に入り、それすらも遊び尽くせていないのに、わざわざ最新ハードにリソースを割く気なぞ起きなかったのである。
 
 
潮流が少し変わったのは2019年4月。
 
友人からスプラトゥーン2に誘われた。このときのぼくのリアクションは、「Nintendo Switchってたまに聞くけど、もう発売してるの?」だった。発売日は2017年3月3日らしい。
ちなみにぼくのいいところは好奇心が旺盛で、人から勧められたものに対するフットワークが軽いところだ。Prime Nowで注文したので思い立った3時間後には本体とソフトが手元に届いたが、そのスプラ2もゲーム筋が備わっていなかったために全くついていけず、気がつけばぼくのSwitchはすぐに棚の肥やしになって9ヶ月が経過した。
 
 
コロナ禍の直前、学生時代の友達との宅飲み中にせがまれ、深夜3時に勢いで購入したゲーム。それが、大乱闘スマッシュブラザーズSPECIALだった。このときのぼくのリアクションは、「スマブラってSwitchで出てるの?」だった。発売日は2018年12月7日らしい。5周年おめでとうございます。
充電ケーブルを持っておらず3時間後には力尽きるSwitchで慌ててダウンロードして、テーブルモードでJoy-Conを片方ずつ持ち合って遊んだ。遊ぶ相手はもっぱらその友達で、そこはキンクルのDAが何もかもを解決してくれる世界だった。
 
お互い素人ながら、一応その友達の方がぼくよりも上手く、過去作の経験もあり、対戦ゲームの勘所もわかっていたので、考えもなしに何連敗もしていると次第に「一応1ファイターくらいはちゃんと使えるようにならないとマズいのでは......?」と思うようになってくる。
でも性能の良し悪しなぞ全くわからない。どのファイターが自分に合うかも全くわからない。もっと言えば、別に愛着のあるキャラもいない。
一応「スマブラ 初心者 選び方」とググってみるものの、一から十まで内容がわからないので自分に当てはまる気もしない。悩んでも悩んでも、今いる地平からでは答えが見える気がしない。
 
 
こうなりゃルックスだ。
ルックスで選ぶしかない。
顔が良くないとモチベを保てる自信がない。
 
 
ついに白羽の矢がたった。
 
 

 
このファイターの撃墜技の要は空中で反対の向きにスティックを倒しながら弱攻撃ボタンを押すことで放つ「空中後ろ攻撃(通称:空後)」で、これが出来ないと実際の立ち回りでは話にならない。ちなみにこの頃のぼくは空後という存在自体を知らない。
 
機動力が高く体重の軽い差し合いキャラとポンコツゲーム初心者の相性は言うまでもなく最悪であり、当然ボコボコにされた。
これじゃいかん。もっとこのファイターのことを知るべきじゃないか。そうやってキャラ理解のために「ソニック・ザ・ムービー」(監督:ジェフ・ファウラー, 2020年公開)を観たところ見事にハートを鷲掴みにされ、歴代のメインシリーズをプレイしたりアニメを追ったりするのに忙しくなったのでここでスマブラは一旦塩漬けになった。
 
 
 

もともとTwitchには、RTA in Japanをチェックしたりソニック公式がたまに行う生配信を観るためにアカウントを作ってはいた。逆に言うとその2つ以外はほぼ観ていない。nanishonshonというアカウント名はこれを作るために5秒で考えた。本名じゃなければなんでもよかった。でも濁音がなく拗音が入ってて、どことなくふにゃけた響きの単語を選んだのはぼくの本能によるところかもしれない。
 
2022年2月のとある暇な深夜。
 
とあるひとりの配信者さんが目に入った。
きっかけは全く覚えてない。導線も。強いて言うなら、当時のぼくが目に留めそうな内容ではあった。
そこではスマブラを使った4人がかりの撮影会を画策していた。具体的にはウルフとファルコを使って、なんか......こう......個人的に琴線に触れるアツい画を撮ろうとしており、どこからか流れ着いた自分はそれを楽しんで眺めていた。
 
ぼくは率直に、その画を見てみたくて仕方がなかった。このコミュニティがおそらくいつものようにやっているであろう遊びを、ハジっこからおすそわけしてもらうくらいの心積もりだった。
ところが、それを実現するための人数がひとり足りていないらしい。
他に誰かが名乗り出る気配もない。え? これひょっとして自分が行けば解決する? でもいきなりそれは踏み込み過ぎなのでは? 眼前の配信が知り合いに向けてクローズドに発信してる類のもので、門外漢が入ることで和を乱す可能性もあるのでは?(誤解です)
猶予はそれほどない。少し悩んだ結果、いきなり名乗りを上げて知らない配信に潜り込む怖さや羞恥心よりも、今これが頓挫したときの惜しさの方が勝った。旅の恥はいくらかき捨ててもいい。大して技術が要求されない作業だったので初心者でも参加しやすかったのもある。
当時のSwitchユーザー名は友達との対戦のみに使用していた「ワニつかい」。初戦に環境キャラであるワニを出して、崖際吸い込みで相手のガノンを射出しまくってとりあえず一度キレられる流れがお約束だった。
 
深夜の、3人の知らない誰かとの、共同作業。
自分が操作した結果が、知らない人の配信に映っている。少し怖い。でも、ちょっと楽しい。
 
 

寝姿、完全にわんこ。たまらん(提供:ふろあつめさん)
 
 

【特別ふろく!:推し配信者烈伝その1】

ふろあつめ(furo_atsume) さん

 
[漫画家|アニメーター|イラストレーター|絵本作家]系ストリーマーな感じの人。
お絵かき配信やスマブラ配信を主として、いろんなことをされています。ホビアニのような躍動的な絵から、絵本にマッチする淡めの絵までバッチコイな方で、配信画面や本人の雰囲気から醸し出る"あの頃の秘密基地"のような空気感が居心地いいです。
 
ぼくがTwitchに浸かることになったきっかけ。ビッツ・レイド・クリップといったTwitchの文化・風土は彼を通して知りました。
「自分の推し」を推すために配信をしていると自負されており、時おり飛び出すいきいきとした語り口の"推し語り"は、一聴の価値あり。
おそらく自分と世代が被ってて、好きなものの話が大体通じるのが楽しいです。一方で、時々話される"作る側"としての思考や視点は、その周縁で仕事をしている自分は興味深く聴いています。
 
ここまで書いてみたところで、なんかこれ言葉での説明には限界があるな〜と思ったので、気になった方は実際に訪ねてみてくださいね。
最近は本業でのご活躍が目覚ましく、ご自身のペースで配信されています。
 
今回の「Streamer Advent Calendar 2023」にも寄稿されています。ぜひ。

 

 
 

この体験をきっかけにその方の配信にお邪魔するようになる。すると、次第にTwitchそのものへの理解が醸成されていった。
Twitchは配信終了時に自身の視聴者を丸ごと別チャンネルの配信へ送り込む「レイド」というシステムがある。横のつながりをシステム側で担保しており、ひとつのチャンネルを観ているだけでも他の配信者さんに辿り着きやすくなっていた。その方のお知り合いの配信者やスマブラプレイヤーも気になってくるようになる。
 
加えて、その方はいわゆる"推し語り"がすごく得意で、配信の中でスマブラのプロプレイヤーに関する話題がちょいちょい出てくる。どんなプレイヤーを推しているか。どのファイターを使っているか。どういった応援をしているか。こうこう大きな大会に出場して、結果どういう成績を収めたか。
少なくともそれまでのぼくには、スマブラの大会や有名プレイヤー、テクニックの名前などひとつも知らない側の人間だったので、新しい世界を覗き見るような気持ちで観ていた。ぼくのいいところは好奇心が旺盛で、人から勧められたものに対するフットワークが軽いところだ。次第にその方の推しであるスマブラプレイヤーの配信にもお邪魔するようになり、それを皮切りに世界が広がった。もともと人からオススメされたものに軽率にハマる性質があり、それがTwitchのシステムと相性が良かったのかもしれない。
 
 
そこから先はあれよあれよと。
 
スマブラのもっと競技的な楽しみ方は何か。著名なソニック使いは誰がいるか。テクニックは。VIPへ到達するには何が足りないのか。今の自分でも出れそうな大会はあるか。スマブラに関するあれこれを調べているうちに、スマブラが一気にぼくの生活の一部に躍り出ていく。
 
ソニックのバーストにはどうやら空後が不可欠らしいと(ついに)知って、トレーニングモードで試行し続ける。小ジャンプが差し合いにメリハリを与えると知り、ジャンプボタンの押し加減を体に覚えさせる。がんばってたら、本編のソニックシリーズでも小ジャンプが狙って出せるようになっていた。点と点が少しつながった。
 
大会の配信を観戦する。コミュニティの熱が画面越しに伝わる。
 
オフの大会や対戦会に通い始め、次第に顔なじみができる。お家にお伺いしてカジュアルな対戦会をやる「宅オフ」にお呼ばれする。
顔も知らないけど仲の良い人や、話したことはないがなんとなく見知っている人が増えていく。
 
モニターを買い足して、宅オフを自分でも開いてみる。
本業のスキルを活かして、オフ大会に提供するZINEの編集チームに加わる。
 
ゼロから段階を一つずつ踏んでいくごとに、「あー、自分はこのコミュニティに入ろうとしているんだなぁ」という実感が徐々に増していった。半年前までは全く接点のなかった環境に、気がつけばトントン拍子で順応していく自分がいた。
 
 
 

2023年のTwitchの使用状況を集計・開示してくれるTwitch Recap 2023によると、ぼくがこの1年間でTwitchへアクセスした日数は354日だった。2021年まではほぼゼロだったことを考えると、その生活への侵食具合は大したもの。でもしょうがないよ、実際ハードルめちゃくちゃ低いんだから。NETFLIXやU-NEXTはなんか重いから、アイコンをタップするのに目的意識が必要になるんだもん。

その点Twitchは、映画やアニメのようにキチンと成形されたコンテンツではないので、どこから観始めてどこで離れてもよい。最近映画館がおっくうになってきた自分は、この風通しの良さが好きだ。TikTokアクセシビリティだけ見ると似たようなタイプだけど、いろんな短いコンテンツを多量摂取するのは疲れてきてしまう。
 
ラジオよりはテンポがゆっくりめで、なにかの作業と並行していても置いていかれることは少ない。構成作家が存在しないゆえの生っぽさもあって、立場も特技もバックボーンも多種多様な人たちが自分のペースでやりたいことをやっている。
行儀が悪めなノリを内輪で共有する秘めた楽しさもあれば、切実な悩みや身の上話を聞いて自分に置き換えて考えたりもする。もちろんただダラダラとゲームするのを眺めてるだけでもいい。
 
この人は自分と同じ感性な気がするから観ている。
この人は自分にはない考え方を持っているから観ている。
この人は常に視聴者は数人だけど飄々とした語り口が好きで観ている。
この人は学が深いから。自キャラの参考にしたいから。好きなゲームをやってるから。よくわかんないけどなんか落ち着くから。
そのときのシチュエーションや気分に合わせて、お風呂の入浴剤を選ぶような感覚で、視聴者という立場に許される範囲の身勝手を行使して楽しんでいる。
コメントはちょっと怖いので地蔵と化してることも多い。ナマに近いからこそ、他のプラットフォームよりは若干、距離感に気をつけるべきだ。でも大小関わらずいろいろな世界を節操なく覗き見できるのは楽しい。自分が知らない世界を知ったり、好きなものをさらに深堀りすることができる。
 
この前、とあるスマブラのプロゲーマーが配信しているグラセフでわちゃわちゃ絡んでいた相手のお名前をよく見たら、自分が数年前から見聞きしている2.5系の舞台俳優だった。
この人いつの間にTwitchなんて始めてたんだ。YouTubeで俳優仲間とバスケやってるイメージしかなかったぞ。毎年継続して出演しているアレ、今年も素敵だったよ。そんなことをコメントする勇気はまだ自分にはない。
でも、ひょっとしたら明日にはタガが外れてフラットに言葉を投げかけるのかもしれない。
 
全然違う箇所に打った点と点が、ふと一瞬だけ交わる瞬間を見たとき、勝手に自分が少し肯定された気がした。無節操だと、たまにこんな偶然にも巡り会えるらしいです。
 
 

【特別ふろく!:推し配信者烈伝その2】

ぱせりまん(paseriman2) さん


スマブラプレイヤーな人。現在はプロゲーミングチーム「SCARZ」に所属。
スマブラを中心に、大会のミラー観戦・その他ゲームの配信、最近ではリスナーを絡めた配信企画・ファンミーティングもされています。
「ワードセンスが面白い」「コメント欄との掛け合いが好き」「大会で見せる真剣な姿とのギャップ」というのも勿論あるのですが、そういった細かい個々の要素が〜というよりは、「ぱせさん自身の在り方がふんわり好き」という感覚のほうが近い気がしています。
 
特に今年8月頃から、ご自身の悩みや思考を率直に話されることが多くなりました。
ぼくは自分に正直に生きることがド下手なので、色んなことでがんじがらめになりそうなときにぱせさんの在り方を思い出すことが時々あります。
自分の身を持することの難しさにぶつかり、進んだりちょっと停滞したりするぱせさんをこれからも応援しています。シャキシャキ

 
 

あとがき

というわけで以上です。おつかれっした!!!!
 
なんか、ひたすら観ているだけでしたね。スマブラというコミュニティのおかげで少し手を動かすことに混ぜてもらいましたけれども。あとはひたすら観てるだけでした。
 
「何のしがらみも持たない・責任も持たない一視聴者の中にはこういうやつもいるんだな〜」程度に受け止めていただければありがたいです。ぼくの時間を奪ってくれる、これから奪うかもしれない配信者の皆様、本当にありがとうございます。コンテンツかどうかは関係なく、生の声がずっと響くことで救われるやつもおりますゆえ。
 
 
最後に。
 
見かけるとまず飛んでいくタイトルです。
視聴者数を1増やしたい配信者さんがおられましたら、是非やってみてください。
 
 
 

Streamer Advent Calendar 2023はまだまだ続く!
実用的な記事や想いに溢れた記事が目白押しですので、ぜひぜひ追っかけてみてね!!!

 

 

明日16日(土)の記事は、片和木さんの「ほぼ日配信を続ける方法」です。

ほぼ日配信を続ける方法|しましまシャツファンクラブ

 

 
 

【非公式日本語歌詞】30/90 - ミュージカル『tick,tick...BOOM!』より

 
 
ジョナサン・ラーソン作の半自伝ミュージカル『tick,tick...BOOM!』のナンバー「30/90」を日本語で歌うための歌詞を書いてみました。
「実際に劇場でこの歌詞でパフォーマンスされていたら」と仮定したときに「日本語ルーツの観客が」「初見でもなるべく意味が咀嚼しやすい」ようなことば選びにしたいなぁと思い、それを目指しました。もちろん実際に劇場でかかる機会などあるわけないため全ては私のイマジネーションに委ねてます。
一方で、初演版・東宝版『RENT』などの"日本での公演実績があるラーソン作品の日本語歌詞"のトーンともある程度合わせたかったので、あえて原詞ママ残している箇所もあります(この判断基準は"「La Vie Bohème」の歌詞を初見で理解できる人、ぶっちゃけ100人に1人いれば良い方じゃありません?"という私自身の偏見感覚に基づきます)。
 
 
『tick,tick...BOOM!』の日本語公演は、2023年8月に渋谷ユニバーサル・ミュージカルさんによるものを観劇しておりますが、当然一切反映しておりません。が、記憶ベースでいうと確か被ってるフレーズはあります(「What can you do?」を「どうする」とか...たぶん...)。そもそも本歌詞を考え始めた2023年3月時点でのモチベーションは『tick,tick...BOOM!』が2012年版(山本耕史主演)以降日本ではずっとご無沙汰だったことによるものだったりします。
 

2023年に観た舞台ふりかえり(上半期編) + 近況

 

 

1月

ファースト・デート:シアタークリエ


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なにもかも正反対な二人の男女がブラインド・デート*1で出会うレストランでの一夜を7人キャスト90分で描ききった、クリエらしい小規模な作品。

基本的には全編コメディタッチで描かれる。アーロン(男性。ユダヤ系。男子校出身でデリカシーもさほどない模範的サラリーマン)とケイシー(女性。カトリック生まれの白人。悪い男と一緒に悪い遊びをいっぱいしていた過去を持つ)のあまりに波長が合わないコミュニケーションのすれ違いっぷりが絶妙で、邦訳のコメディ作品とは思えないくらい劇場が笑いに包まれていた。

それでも少しずつ会話を重ねていくことで、それぞれが抱えている傷が段々あらわになっていく。二人の傷にはある共通点があって、ひとつは過去のトラウマと性規範の内面化に根ざしていることと、そのせいで幼い頃から"愛情"そのものに対して実感を抱けていないこと。たとえ文化が違う相手でも自分なりに相手を慮ることが段々と相互理解を深めていき、お互いの傷のケアにつながっていく構成が見事。


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主要ナンバーはお互い身勝手に理想を押し付けまくる容赦のない歌詞が面白い「First Impressions」、傷を負うことを恐れて行動を起こせないケイシーの苦悩を歌った「Safer」など。2010年代の現代劇らしいポップでキャッチーな聴き心地ですごく好みだった。アーロン役村井良大さんとケイシー役桜井玲香さんのコンビも非常に丁度良かったというか、お互いを喰いすぎないバランスの良い組み合わせだったのも良かった。

出会いも別れもインスタントに訪れてしまう昨今に、腰を据えて顔を合わせて、実直に言葉と心を通わせることの尊さ。少し下世話でエッジの効いたギャグとは裏腹に、人に寄り添った意外にも優しい作品だった。

 

2月

バケモノの子:JR東日本四季劇場[秋]

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2022年4月に開幕した、劇団四季の新作オリジナルミュージカル。東京初演は2023年3月に一旦クローズ済みで、同年12月から大阪四季劇場で上演予定。四季は海外作品の輸入公演を行う一方で、劇団オリジナルの作品も精力的に作り続けてきたが、今回の『バケモノの子』は舞台そのものも上演期間も相当大きなスケールでお送りされた。

スタジオ地図製作・細田守監督のアニメ映画『バケモノの子』を原作に迎え、登場人物のルックス・プロット・一部劇伴に至るまで原作映画を踏襲。ぼくは公開当時誘われて観に行ったけどあまり記憶にない状態での鑑賞。

 

 



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弧型のスクリーンを活かした立体感のあるプロジェクションマッピング、バケモノ一人ひとりの精巧なマスク造形など細部まで力が入っており、ここ数年の国産ミュージカルでは一番お金がかかってそうなことが伺える。ロングラン前提だからこそできる規模感なので、地方ツアー公演は難しそうだ。
ただこの作品、原作の脚本の弱点もほぼ引き継いでしまっていて、渋天街で九太(蓮)と熊徹の師弟愛、バケモノとの触れ合いが主軸の第1幕はかなり好みだったんだけど、第2幕から追加されたいろんな要素があまり混じり合わず、次第に正面衝突していく。なんなら楓や蓮の父親のナンバーの唐突さは、かえって違和感を増幅させている気さえした。

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それでも劇団四季の地力となる演技力と歌唱力、舞台装置と殺陣のダイナミズムでそれをある程度押し流せてはいて、じゅうぶん見応えはあるなと感じた。もろもろの事情から大阪公演で脚本・演出の整理はある程度行われるんじゃないかと予想してるので、評判次第ではまた観に行きたいな〜......

 

 

バンズ・ヴィジット 迷子の警察音楽隊日生劇場


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2018年のトニー賞、10部門受賞。当時のぼくはまだ会社員で、業務の合間にTwitterをチェックして驚異の12部門ノミネートしていた『SpongeBob SquarePants』がどれだけ獲れるかを見守っていたのだが(仕事しろ)、結果的にひとつの作品が演出賞・脚本賞・主演女優賞と次々にかっさらう様をリアルタイムで追っていく不思議な体験をした*2

日本版の主催はホリプロ。そもそもホリプロはオフブロードウェイ上演前の時点で既にこの作品に出資しているので、賞状にはホリプロの名前が載っているし会長も授賞式に出席している。今回、日生劇場トニー賞のトロフィーを展示できたのもコレが関係してるのかも。


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映画『迷子の警察音楽隊』が原作。エジプトとイスラエルは、現在は平和条約を結んでいるものの過去には幾度も戦争をしていたので今もほんのり緊張した関係にある。エジプトの警察音楽隊イスラエルの「ペタハ・ティクヴァ」という都市を目指していたら、間違えて名前だけよく似た「ベイト・ハティクヴァ」というド田舎についてしまった。町を出るバスは明日まで来ないので、常用言語も文化も異なる現地住民のお世話になることに......という話。

舞台は全体通してゆるやかなテンポで進行し、物語的な山場も特に設定されておらず、音楽隊と現地住民のどぎまぎした起伏のないやり取りを観客はただ見物する。その生っぽさも含めて、"作品を観ている"というよりは"覗き見している"に近かった。冗談抜きで作中起こる出来事にドラマチックなうねりはなく、ラストは予定通りバスで町を後にし、「たいしたことではなかった」の言葉とともに終幕する。実質的には劇中の「たいしたことではない」やりとりの一つひとつが小さなピースとなり相互理解への祈りや希望につながる作りになっていて、分断に対する静かなカウンター(特に当時はトランプ政権への)として機能している。そういった大局のメッセージには共感できるものの、エリアンナさん演ずるイリスというキャラクターが環境の犠牲になってる感が強くて、しかもあまり救済もされなかったのが個人的に結構ノレなかった。いや、その辺のバランスを求める作品じゃないことは重々承知だけども。

往年のエジプト人俳優の思い出を語ることでお互いの共通の体験を呼び起こす「Omar Sharif」は授賞式でも披露されていたキメの名曲で、濱田めぐみさんの本領が発揮。こがけんさんの優しい声音が街そのものを包み込む「声をきかせて」の切ない旋律も好きだった。演技を本業としないオーケストラの面々が"音楽隊の役として"演奏をするのも新鮮で、とにかく異色な作品だったのは間違いない。

 

RENT:シアタークリエ


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言わずと知れたジョナサン・ラーソンの遺作。どうでもいいけどこの前里帰りしたときに実家の私物を漁ってたら2012年版のフライヤーが出てきて思わず叫んでしまった。アンサンブルに海宝直人とかいるし……今回のRENTはこの2012年版から続くマイケル・グライフ新演出とアンディ・セニョール・Jrのリステージによるバージョンである。

過去一面白かった東宝RENT。2020年の『デスノート』以来大躍進を続ける日本のAaron Tveitこと甲斐翔真さんがついにMR!で芳雄さんとWキャストで帝劇に立つと聞いたとき、ひょっとしたら東宝RENTに出るのはこれが最後になるのかな〜という予感がなんとなくあったのでロジャーはどうしてもこの人で観たかったのだ。

東宝RENTは公募も含むフルオーディションで、所謂伝統的なミュージカルとは毛色の異なる人選をすると実質的に宣言しているので、昔から歌唱力よりはロック感やパンクな雰囲気を重視したキャスティングがされるイメージがあったのだけど、今回の東宝RENTは歌唱のレベルもとにかく高くて大満足だった。

いろいろ特筆すべきは今回のパンフレット。新聞を模してるデザインで、二つ折りにした紙をただ重ね合わせた製本スタイルを採用していてなんか色々面白かった。ペラ紙なので折り目や傷が極度につきやすかったり、のりや糸で綴じてもいないので客席でページをバサバサと落としてしまう人もいたりと、まぁ評判はあまり......というかかなり良くなかったんだけど*3、なんだかんだLESLIE KEE氏のかっちょいい写真やキーヴィジュアルがA3のドデカサイズで見られるのは迫力があったし、杉山文野さんのコラムを載せることで現在の日本のLGBTQ+が苛まれる現実とRENTの作品Tipsを接続させているのはこの作品をフィクションにとどまらせないって気概を感じた。

 

3月

チルダ東急シアターオーブ


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ロアルド・ダール著の児童書『マチルダはちいさな大天才』を原作に、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー略してRSCが製作して長らく人気を博した作品が、ツアー版演出のレプリカ公演という形式で満を持してホリプロにて日本初上演。

ツアー版準拠とはいえレプリカ公演なので、舞台装置が見てて楽しい。大がかりでド迫力というよりはとことんアナログで素朴だけど使い方がクレバーで、特にやっぱり「School Song」は曲や振り付けとの連動が見事だった。そのぶん演者が覚えることは恐ろしいほどに多そうで、段取りを覚えるだけで大変そうだな.....と感じる箇所もいくつかあった。


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BW・WEでずっと存在感を放ちながらも日本公演がここまで遅れた理由は、生徒役として大量の子役キャストを用意できないことにあると思われる。今回の日本版では子役をマチルダ・ブルース・エリックの3役に絞り、残りの生徒は大人キャストが演じる通称「キダルトバージョン」を採用。通例として子役はアンサンブルでもせめてWキャスト以上は必要で、今までの傾向からホリプロとしてはおそらくクワトロにしたそうな感じが見受けられるので、わずか数か月の上演期間だとこの形式しか取れないんだろう。個人的には悪くないと思った。というのもミス・トランチブルが作中なかなかの長時間にわたって行う非人道的な教育法は今のバージョンでも既に見てて結構つらいものがあるので、対象が本当の子どもになると少ししんどすぎるかもしれん......って思った。いやほんとに、「Revolting Children」だけでは正直あまりスカッとせず......

 

4月

ミュージカル「ヘタリア~The Fantastic World~」:配信

ポリゴンマジック製作の通称『ヘタミュ』シリーズ・第5弾。

今の時代、特にこの1-2年で、国擬人化コンテンツを取り扱うこと自体がべらぼうに難しくなっているんだろうと感じる。"銃声が響いて暗転したらアンサンブルの亡骸が転がってる"みたいな当時でさえピーキーな演出、向こう2年はやれそうにない。

主人公としての日本のキャラクター心理については、2023年のヘタリアとして、国という取り留めのないモノをこのタイミングで戯画化したらああいう結果にたどり着くのもわからなくはない。初演から5作目までの祖国のキャラクターイメージは、原作通りとはいえ、正直観た当時ですらちょっと古いな......って思ってたし......

ヘタミュとして当たり前にやっていたことができない中で、それでもヘタミュとして何をするか。年次の名言、戦争の描写、国旗の掲揚、前回まで皆勤だった特定のキャラクターの出演。ヘタミュはどの作品も最後はまっすぐ真剣にキレイごとを叫んでくれるところが好きで、ただ今回はその理想に対するあまりにも惨いカウンターがすぐ傍にあるのがほんのりつらい今日この頃。

 

5月

クレイジー・フォー・ユー:KAAT神奈川芸術劇場


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劇団四季創立70周年記念ラインナップのひとつとして8年ぶりに上演された往年の作品。BW初演の演出を現在も続けているが、今もこの演出で上演され続けている国って他にあるんだろうか?(今年イギリスでリバイバル上演されてるものについては演出も変わってる模様)

高校生の頃からずっと観たいと思っていながら観れていなかった作品。ガーシュウィン楽曲を使用した作品でいうと、4年前に上演した同じ劇団四季の『パリのアメリカ人』が記憶に新しい。改めて時系列とは逆の順番でこの2つの作品を観ると、CFYは徹底してエンタメ、パリアメは徹底してアート志向で、それは所謂キメのシーンがパリアメではインストゥルメンタルの「An American in Paris」を使った15分弱の本格バレエシーンなのに対し、CFYはタップダンスと小道具ギミックを併せた小技の数々を8分間ひたすら矢継ぎ早に出力し続ける「I Got Rhythm」であることにも現れていると思う。

ただただ順当に面白かった。ソツもクセもあまりなくて、振付や演出で「スゴイ!」と思えるシーンも随所にあって、大体のナンバーは最後に「ジャンッ!」で終わるので拍手もしやすく、本当にベーシックに傑作なミュージカルだった。一定以上の年齢の方から「ミュージカルってやつを一回お試しに観てみたいんだけど、なんかオススメある?」という質問をされたときに最大公約数的な回答としてオススメできる作品だった。ただガーシュウィンというだけでそもそもクラシカルなのに加え、合意のない接吻やペッティングもあったりと、流石に倫理観としては今観ると......な箇所もあるにはあるので、10代の子とかにまでフィットするかはちょっとわからない。なんたって初演が30年前なので仕方ないけども。それでも傑作だし、これ程ほどに手間のかかる作品をツアーでいろんな地域に届けられているのは本当に幸運なことだな~と思った。

好きなシーンの話。「Nice Work If You Can Get It」のシーンが最初から最後まで何もかも好きだ。ナンバーが始まった途端全身ビビッドピンクのイマジネーションガールズがぞろぞろ出てくる華やかさと一人残ったボビーが月夜の中踊り始める寂寥感との寒暖差がすごくて風邪引くし、"星空の下 手をつなごう できればいいな やればできるだろう"というフレーズがとにかく美しい。

 

 

ノートルダムの鐘:JR東日本四季劇場[秋]


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横浜以来1年ぶり。
そろそろ全編書き起こしできるかもしれない。

 

6月

ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル:帝国劇場

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東宝演劇のエネルギーを結集したであろう今年イチの大・大・特大プロジェクト。バズ・ラーマン監督の有名映画『ムーラン・ルージュ』を舞台用に再構成し2019年にBWで上演したものの(ほぼ)レプリカ公演。久々に復活した帝劇正門の大装飾、コラボカフェや周辺店の数多のコラボメニュー、街灯の旗のひとつひとつに至るまで、上演期間中は日比谷北部エリアがMR!一色に染まった。


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そんなMR!の最大のネックはそのチケット代。ぼくが知る中ではダントツで過去最高額。とくにB席は通常の帝劇作品の2倍近くに設定されている。昨今の値上げラッシュに辟易とする中にこのプライスがドンと乗っかり、ネットではそこそこ論争を巻き起こした。ただそのかいあって美術クオリティは群を抜いており、BWと比べて装飾は若干ダウングレード気味ではあるがそれでもあまりに絢爛豪華な舞台。なにあのシャンデリアの数? なにあの風車? なにあのおっきな象さん? 自分が今いるのはホントに日本なの……? 

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2020年の『デスノート』以来大躍進を続ける日本のAaron Tveitこと甲斐翔真さんがついに裏切らない芳雄さんとWキャストで帝劇0番に。昨年の『ネクスト・トゥ・ノーマル』でも海宝さんと同じ役を宛がわれたりとかなり期待されていることが伺えて、本人も頑張ってしっかりと結果を出している。デスノートのときから「この子、伸びるぞ......!」と後方保護者面してきたぼくもニッコリ。多分甲斐さんの方が年上だけど。


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ぶっちゃけこの脚本を楽しめるかどうかはクリスチャンの若さゆえのよく言えばひたむきな、悪く言えば青臭い求愛を観客が受け止められるかに大きく作用する気がする。少なくとも自分は、クリスチャンの純度100%の愛がサティーンになにか救いをもたらしてるようには見えず、むしろサティーンはクリスチャンのために自らの命を果てる決心すらしてしまうのでひたすらサティーンが可哀想で仕方なかった。愛が持つ加害性について改めて考え込んでしまう。

日本語翻訳のジュークボックスにはとある弱点があり、それは使われている曲の知名度が国ごとにバラついており、なおかつ歌詞が丸ごと新規の日本語に置き換わってるおかげで曲の特定が難しいという点だ。この作品は特にいろんな曲が矢継ぎ早に入れ替わるので「あれ...この旋律...この曲ってもしや...」って脳内で張り巡らせていたときには次の曲に――みたいなことが起こり得る。ので、ポップスにある程度素養のある方は事前予習をした方が無難かもしれない。ちなみにぼくの好きなナンバーは「Shut Up And Raise Your Glass」で、前日にSpotifyで予習してこの曲が流れたときの衝撃たるや。「Shut Up And Dance」と我が青春のP!NK姐さんの「Raise Your Glass」とのマッシュアップでアガらない平成POPSキッズなんていないのである。クリスチャンの目を子犬にさせたピュアっピュア感にもマッチしててキラキラしててなんかもう最高の煌めきだった。

 


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2024年に帝劇・梅芸での再演を予定。

 

7月

tick,tick...BOOM!:中目黒キンケロ・シアター

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『RENT』を書いたジョナサン・ラーソンの自伝的作品を渋谷ユニバーサル・ミュージカルが日本語上演。山本耕史さん主演で最後に上演されたのが2012年とのことなので、およそ11年ぶりの機会? 日本では長らく上演されていなかったので、長年のレントヘッズとしてはチェックしないわけにはいかなかった。高校生の頃からずっと観たいと思っていながら観れていなかった作品その2。

30歳が目前に迫った主人公のジョンは、ミュージカル作家として花開かないまま20代を終えてしまいそうな現状にすごく焦っていた。ダイナーのアルバイトでタスク過多に忙殺される中、一緒に夢を追っていたマイケルはいつの間にか大企業でブルシット・ジョブに勤しんでキレイな部屋と車を手に入れてるし、恋人のスーザンはニューヨークを離れて身を固めることを提案してくる。普通の幸せを手放し何年もその身を作品製作に捧げても、次に繋がるような機会はとうとう訪れなかった。30歳の誕生日。タイムリミットは刻一刻と迫る――


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現状の自分と状況が少しリンクしてるので、あらすじを書いているだけでなんだか楽しくなってきちゃう。アンドリュー・ガーフィールド主演の映画版を先に観ていたけど、ほどほどに差異もあったので新鮮に観られた。基本ジョン以外の2人が他の登場人物を兼任するスタイルで小規模団体でも上演しやすそう。ジョンがマイケルの会社でアイデア出しをするシーンはオケのメンバーがマイケルの会社の社員を演じていて、ベースの人が"絶対わかってないけど理解してないとナメられるからとりあえず頷いておこう"的なビジネス頷きを繰り返してるのが妙にリアルでツボだった。

映画版と違いジョナサンがこのあと35歳で自作のプレビュー初日早朝にこの世を去り、遺された作品が大大大成功してしまうことは舞台版では触れられないので、知っているのと知っていないのとでは「Louder Than Words」に抱く感想が違ってきそうな気がした。なお劇場にはそこそこ知らなさそうな方たちもいた。小ネタでは鍵をバルコニーの上から落とす下りとかが完全に「RENTで観たやつ!」ってなって妙に嬉しくなっちゃった。

全然関係ないんだけど、この作品が上演されるちょっと前に「30/90」の日本語歌詞を趣味でちょぼちょぼ書いていたので(まさかこんなタイミングで上演されるとは思わず......)とても綺麗な日本語に訳されてて流石だな~と......一部のフレーズは被ってたりもしてたのが興味深かった。そのうちこのブログに上げるかもしれぬ。

 

ジーザス・クライスト=スーパースター[ジャポネスク・バージョン]:自由劇場


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いくら自由劇場とはいえ四季の会先行初日のみで3週間分のチケットがすべてハケるなんて流石に思わなかった……。1時間くらいウェブサイトのアクセスが叶わず、つながった時には土日完売・平日も埋まりかけで、もうどれでもいいから取れるところを取るしかないって状況だったのだけど、そうして取れた日は偶然にも創立70周年記念日。この日上演された演目の中では浅利先生の色が最も色濃く、今日の四季の源流となったこの作品をそんな記念すべき日に観られるのは、いつもより少しばかり構えて臨まざるを得なくてですね......


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JCSは多種多様なバージョンをスクリーンや劇場で展開しており、3つの映画版と2つのコンサート版、エルサレム・バージョンは既に観ていたものの、ジャポネスクは未見。なんだかんだジャポネスク・バージョンの上演自体も10年ぶりらしい。高校生の頃からずっと観たいと思っていながら観れていなかった作品その3。

他のカンパニーだとSNSが登場したり銃を持ったりとその上演当時の時代に合わせるようなディレクションが多い中でユーロ・ロックを歌舞伎で、でもヒッピースタイルも混じってて、と時空が歪みに歪みきってるので結果一周回って現代に観ても色褪せない作品になってるんじゃないかなぁという気がする。


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2階席でも演者の顔がハッキリ見えるような小さな劇場で、極限までシンプルで真っ白なセットなのにも関わらず頭がパンクしそうな情報量だった。ぼくの人生の経験値が追い付いてきたのか演出のおかげか、今まで観たJCSではキャラクターの心情やお話の筋が最もしっくり来るバージョンだった。

あとはまぁ、神永ジーザスがとても、THE 陶酔の対象 って感じでいいと思いました。端正なマスクで線も細くて、あの世界でも浮世離れしてそうな儚いオーラをまとってて、いかにも厄介ファンがついてて納得なジーザス。現代にいてもそう変わらない道筋を辿りそうな気がする……

 

 

 

以下、近況。

 

 

ついこの間美容室に行ったときのこと。
カットが一通り終わって、アシスタントのお姉さんに髪をドライしてもらってるときにお話していたら、なんとそのアシスタントさんが小中学校の発表会で『CATS』を演ってたことが判明。思わずオタクの血が騒いだため興味深々で前のめりになり、「顔に猫のメイクとかやってました?」「コレ(キャッツ歩行)やってました?」「ゴミとか置いてました?」と質問攻めしてしまった。当然打率は100%で「めっちゃ知ってますね(笑)」と苦笑いされつつも、その後もミュージカルの話に付き合ってくれた。
「CATSって今もやってるんですね! でも私オペラ座一度観てみたくて~」と言ってくれたので「いま大阪でやってるんですけど、来年横浜に来るのでよければぜひ」とすかさず案内すると、「なんでそんなにスケジュール知ってるんですか(笑)」という返事が返ってきて、それが割と新鮮な反応だった。
ぼくはそもそも自分が好きなものについて口頭文頭問わず"語る"という行為が不得意で(苦手ではなく不得意)、取り留めのない話を無駄に長尺で話してしっちゃかめっちゃかになることが目に見えていてそれがとても怖いので界隈外の人にあまり趣味の話をしない。当然ミュージカルの話も普段は数少ないミュオタの友人としかしていない。なので盲点だったが、よく考えたら日本で上演される大体のグランドミュージカルの公演スケジュールや公演地の変遷を特に意識しなくても記憶できているのって結構凄いことなのかもしれない。

 

 

2023年の上半期は仕事が忙しかったり、いくつか趣味の活動に参画したりと、コロナ前より随分と観劇ペースは減って、観たいものをくまなくチェックしたり、複数観劇が気軽にできるような環境ではなくなった。
それでも、たとえば比較的小規模な団体の作品も逃さずにいられたし、他にも気になる作品はいくつか見繕っていて、旬な情報を追い続けることそのものが楽しい。シャワー中は音の響きがいいのでついつい歌を歌ってしまい、レパートリーは日に日に増えている。なんだかんだミュージカル鑑賞は自分が数多く持つ趣味の中でも特に深く根付いていることを日々実感する今日この頃であった。

 

 

 

 

 

ところで最近は適応障害を発症して休職したりしてます。といってもフリーランスの校正者なので手当てが出るわけでもなくまぁつまるところ実質ただのニートですね。

今回が初めてではないし、自分でダメージを感知して回避に向けて動けるくらいの余裕はあったのでこのこと自体はそれほど気にすることではないのですが、どっちかというとそれに伴う変化としてストレスに対する耐性が著しく減ったことによりなんと映画館に行きにくい身体になったことにおっかなびっくりどっきりしています。

ここからここまでと決められた時間に絶対ここにいなきゃいけない、という環境がどうやら色々難しいっぽくて、え、つまり劇場なんて余計無理では......? これでもそこそこのシアターゴアーとして生きてきた自分がよりによって観劇しにくい身体になっちゃったことが意外すぎて逆に笑えます。この前もそろそろ大丈夫かなと思い『美女と野獣』のチケットを取ったのですが、舞浜まで行ってすぐに帰ってこれないことに対する不安がデカすぎて翌日すぐ公四季に返したりと続けている謎ムーブ。いろんなところに足を出向いて検証した結果、好きなタイミングで休憩を取れる環境ならまだ安心感はあるのですが、映画や舞台とは中々相性が悪い。まぁ生きてりゃこういうこともあるんだろうな~と思い、他の趣味に生きています。最近はスマブラとYA小説がマイブーム。如月かずさ『スペシャルQトなぼくら』を全人類に読んでほしい。

職場環境のアンマッチを解決せず我慢し続けたことが敗因なので、いまいちど自分が何を好きで、何が苦手で、何をした方がよくて、何をやめた方がいいかを棚卸ししなきゃな~と思ってる次第です。なんもできない日もあるけど......でも確かロジャーって1年くらいずっと引きこもって曲を書けない日々を送ってた筈なのでそれと比べたらずっとマシかも~!

今はおうちで自分のペースで作品をちょぼちょぼたしなんでます。こんなこともあろうかとふるさと納税でスカピンのBlu-rayを取り寄せておいてよかった~。いまや配信だけでも観きれないくらい舞台の全編映像が供給されているこの時代に感謝してこの記事を締めます。よく考えたら『ハミルトン』も『カム・フロム・アウェイ』も『王様と私』も観れてないので残弾まだいっぱいあるんだな。

 

*1:仲人を介して、初対面同士をマッチングさせて行うデート形態。感触としてはマッチングアプリに近い

*2:正直Ethan Slaterを差し置いて作中2分も歌うシーンのない役に主演男優賞を獲られたのは今でも少しもにょっている

*3:かくいう自分も、ロゴが印刷されたパンフを入れる封筒がお店でもらった袋でもサイズがギリで持ち歩いてる間に上部分がビリっと...結構注意はしてたんだけどな...